東葛印旛大師巡拝 箕輪の香取神社(元59番)&若白毛の長覚院跡(元87番)

(令和4年8月6日その9)
東葛印旛大師巡拝、箕輪の石尊社跡(34番)&如意寺(15番&59番&81番)の次は、箕輪の香取神社(元59番)、続けて、若白毛の長覚院跡(元87番)に参ります。
如意寺の前の道を西に、箕輪区民館の交差点まで戻りました。その角の左手前側に、庚申塔が祀ってありました。

箕輪区民館向いの庚申塔

柏市箕輪区民館向いの庚申塔の一角
柏市箕輪区民館向いの庚申塔の一角
この写真左の明るい方が、如意寺への道になります。
柏市箕輪区民館向いの庚申塔
柏市箕輪区民館向いの庚申塔
庚申塔には「正徳二壬辰歳十月晦日」とあります。(正徳2年=1712年)
柏市箕輪区民館向いの庚申塔手水鉢
柏市箕輪区民館向いの庚申塔手水鉢
手水鉢には「奉納」「庚申講中」とあります。
さて、箕輪区民館の左隣に香取神社がありますので、そちらにも参ります。
箕輪公民館と香取神社
箕輪公民館と香取神社

箕輪の香取神社

香取神社、柏市箕輪289番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師文政期の59番。

箕輪香取神社
箕輪香取神社
鳥居から参道真直ぐに社殿があり、参道途中左にも庚申塔などがあります。

社殿

箕輪香取神社社殿
箕輪香取神社社殿

手水鉢

箕輪香取神社手水鉢
箕輪香取神社手水鉢
手水鉢には「文化五戊辰七月吉日」とあります。(文化5年=1808年)

庚申塔など

箕輪香取神社庚申塔など
箕輪香取神社庚申塔など
東葛印旛大師59番札所は、文政期から明治の神仏分離期までは、香取社にあり、その後に如意寺に移ったようです。現在の香取神社には、その痕跡は見当たりませんでした。
それでは、若白毛の次の札所目指して、移動します。香取神社の前の道を右(南)に進みます。次に道が二股に別れるところ、
箕輪香取神社南の三叉路
箕輪香取神社南の三叉路
右に曲がります。と、ここで、大師道の道標を発見しました。
箕輪香取神社南の三叉路に道標
箕輪香取神社南の三叉路に道標

箕輪の大師道道標

箕輪大師道道標正面箕輪大師道道標右面
箕輪大師道道標
道標の正面中央「大師道」、右面「明治四十二年三月」とあります。(明治42年=1909年) これだけでは、よくわかりませんが、今までも類似のものを見てますので、おそらくは、下総四郡大師の道標でしょうか。
さて、そのまま進みますと、次も道が二股に別れるのですが、そこに、「かわうその碑」があります。

かわうその碑

かわうその碑全景
かわうその碑全景
かわうその碑正面左面と旧沼南町設置の標柱
かわうその碑正面左面と旧沼南町設置の標柱
かわうその碑右面
かわうその碑右面
旧沼南町設置の標柱に拠れば、ここは松戸道と若白毛道の追分で、この碑は、箕輪の廣瀬佐惣治と弟が、かわうその供養に立てたとあります。その情報より、この碑の正面中央「祭獺之制底」、その左右「文化十四丁〓年八月十三」、左面「左若志らか」、右面「右松戸」「箕輪邑施主廣瀬佐惣治」と読めます。(文化14年丁丑=1817年) 廣瀬佐惣治氏の名前は、如意寺の81番大師堂前の手水鉢にもありました。
なお、若白毛へ向かうので、左に進みます。その先の突き当りを右折、次の三叉路を左折して、坂を下ります。
手賀の杜から若白毛への道
手賀の杜から若白毛への道
そのまま低地を突っ切って、突き当りを左、道が右に曲がり、突き当りを右と進むと、右に若白毛区民会館、前方に空き地があります。
若白毛区民会館前
若白毛区民会館前

長覚院跡

東葛印旛大師昭和期までの87番。
下総四郡大師昭和期までの87番。
この若白毛区民会館と空き地は、長覚寺あるいは長覚院の跡になります。空き地の一角に、僧侶の墓石などが纏められています。

若白毛区民会館横の墓石など
若白毛区民会館横の墓石など
この墓石などのうち、後列左端の石塔は、大師道道標です。

長覚院跡の大師道道標

若白毛区民会館横の大師道道標正面左面若白毛区民会館横の大師道道標右面
若白毛区民会館横の大師道道標
残念ながら、右面の「明治四十一年十二月」、正面と左面のそれぞれ上部にある右をさす手指の絵のみ明瞭で、正面中央の文字は判読できません。
いずれにしろ、87番札所は、同じ若白毛の長栄寺(29番&30番&87番)に移転しています。
墓石側から若白毛区民会館
墓石側から若白毛区民会館

次回は、若白毛の長栄寺(29番&30番&87番)&八坂神社(元30番)

次回は、その若白毛の長栄寺(29番&30番&87番)、続けて、八坂神社(元30番)に参ります。若白毛区民会館から南に進み、千葉県道282号線との交差点を右折します。