(令和6年4月25日その4)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、長岡の正福寺(六崎組60番)の次は、上野(うえの)の薬師堂(六崎組80番)と上野神社に参ります。
正福寺跡一帯から坂を下って、JR総武本線長岡踏切に戻り、踏切を渡ってそのまま南へ直進し、谷津田を横断して坂を上り、道なりで山梨の川戸地区をかすめて、山梨の宿地区に入り、この三叉路は、車線のペイントに合わせて左へ、なおも道なりで進んでの突き当りの三叉路、右に進むと、右手に山梨の大隆寺(千葉寺71番)があります。
大隆寺前を通過してからは、以前に大隆寺から南波佐間の円正院(千葉寺72番)へ進んだ道で、信号交差点は左折、みそら1丁目と和田地区の境を通って坂を下ります。そして、谷津田に出る直前の左カーブのところ、左前方に旭中学校がみえますが、ここで右の細道に入ります。そのまま谷津田に沿って進み、ついに谷津田を渡ってまた坂を上ります。坂上の突き当り( いちおう )三叉路、左折(東行)します。次の三叉路のところ、地蔵像がありました。
上野の地蔵像
地蔵像の右「六道能化地藏菩薩 願主〓〓敬白」、左「乃至法界平等利益 于〓正徳四甲午天十月吉日」。(正徳4年=1714年)
この三叉路は左折(北行)します。すると、左手に、防火水槽、石塔群、建物が見えます。
上野の薬師堂
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
六崎組十善講八十八ヶ所80番。この建物が、「上野やくし堂」であり「八十番」札所です。独立した大師堂はありません。
ここまで来ましたので、序に村の鎮守社にも寄り道します。というのも、この上野の集落は、現代の道路事情からすると、陸の孤島ならぬ陸の半島的なところですので。
薬師堂から道路に出て左(北)へ、すぐのところ、右の私有地には入らずに、直進しますと、上野神社になります。
上野の上野神社
上野神社、四街道市上野128番地。(千葉県の宗教法人名簿より)鳥居、参道階段、手水鉢、常夜灯、社殿、社殿の周囲に境内社です。大師堂は見当たりません。
鳥居
神額は「上野神社」。
社殿前
手水鉢
手水鉢の正面「奉納」、右面「文政十三寅 三月吉日」。(文政13年=1830年)
社殿
こちらの神額も「上野神社」。
境内社
それでは、次に参ります。なお、六崎組十善講八十八ヶ所の札所とは、またまたお別れとなります。来た道を戻り、薬師堂前を通過して、地蔵像前三叉路は右へ、次の( いちおう )三叉路は、道なり直進やや左へ、右手の障害者施設を過ぎると道路が二車線化されます。そのまま進んで、四街道総合公園の北西側、千葉県道66号浜野四街道長沼線に突き当たります。この交差点は左折(南行)し、国道51号との吉岡十字路も直進します。
次回は、吉岡の福星寺(千葉寺74番)経由で坂戸の西福寺(千葉寺75番)へ
次回は、いちど吉岡の福星寺前まで寄ってから、佐倉市坂戸の西福寺目指して移動します。