六崎組十善講&千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝 長岡の正福寺(六崎組60番)

(令和6年4月25日その3)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、物井の宝蔵院(千葉寺66番関連)の次は、長岡(ながおか)の正福寺(六崎組60番)に参ります。正福寺自体は廃寺であり、その跡地に碑が立っている一方、そこからほんの少し離れた場所に60番大師堂があります。
宝蔵院から、JR総武本線沿いの道を経由して、長岡踏切から坂を上り、その正福寺跡の交差点まで来ました。

長岡正福寺跡前(再掲)
長岡正福寺跡前(再掲)
左が正福寺跡になります。

長岡の正福寺跡

六崎組十善講八十八ヶ所60番関連地。

長岡正福寺跡入口
長岡正福寺跡入口
まず、上2枚の写真左に写っている石塔群から。

三山供養塔群

長岡正福寺跡三山供養塔群
長岡正福寺跡三山供養塔群
この中の後列左端の石塔、
長岡正福寺跡三山供養塔群後列左端正面左面長岡正福寺跡三山供養塔群後列左端右面背面
長岡正福寺跡三山供養塔群後列左端
正面の中央は種字に「湯殿山供養塔」、その左右「月山 羽黒山」で湯殿山を大きく高く刻み、右面「安永元年〓壬辰 十二月吉祥日」。(安永元年=1772年)
三山供養塔群の隣・続きに、正福寺関係のものがまとまっています。

正福寺跡

長岡正福寺跡
長岡正福寺跡

正福寺跡の碑

長岡正福寺跡の碑
長岡正福寺跡の碑

光明真言五十万遍読誦塔

説明板が、正福寺跡の碑の背後にあります。

長岡正福寺跡光明真言五十万遍読誦塔説明板
長岡正福寺跡光明真言五十万遍読誦塔説明板
読誦塔自体は、正福寺跡の碑の右です。四街道市指定文化財です。
長岡正福寺跡光明真言五十万遍読誦塔
長岡正福寺跡光明真言五十万遍読誦塔
ちょっと読み順が判りません。中央やや上に横書きで「五十明万遍」、その「明」の上下にも文字あり、右下は縦に「下総國臼井内長〓村正福寺住〓」、左下「元禄十天丁丑十月吉日…」。(元禄10年=1697年)

正福寺の説明板

光明真言五十万遍読誦塔の背後に、正福寺についての説明板があります。

長岡正福寺跡の説明板
長岡正福寺跡の説明板
これに拠れば、正福寺は明治維新時に廃寺となった、縁起は不詳、物井村御山の不動尊金剛寺(千葉寺65番関連)の末寺で真言宗、本尊は不動明王。
それでは、この正福寺跡の向かいにある石塔石仏群へ。

長岡正福寺跡前の石塔石仏群

長岡正福寺跡前石塔石仏群
長岡正福寺跡前石塔石仏群
石塔石仏群の右に説明板があります。なお、説明版の右( 写真の奥 )へ進むと、60番大師堂に至ります。
長岡の石塔群説明板
長岡の石塔群説明板
タイトルは「長岡の石塔群」、四街道市教育委員会のものです。
そして石塔石仏群の背後にも説明板があります。
長岡正福寺跡前石塔石仏群説明板
長岡正福寺跡前石塔石仏群説明板
こちらは、長岡石仏保存会のものです。
石塔石仏群ですが、右端から、
長岡正福寺跡前石塔石仏群右1-2番目
長岡正福寺跡前石塔石仏群右1-2番目
右端の石仏は、右「辛文化〓年」、左「未二月吉日」、その左の石仏は、右「奉造立十九夜」、左「文政六癸未年 三月十九日 長岡邑 女人講中」で、両方とも四街道市指定文化財。(文化辛酉年=文化8年=1811年、文政6年=1823年)
その左隣、
長岡正福寺跡前石塔石仏群右2-4番目
長岡正福寺跡前石塔石仏群右2-4番目
この写真の中央( 全体で右から3番目 )の石仏は、右「奉造立十九夜 講中」、左「寛保三癸亥四月十九日 長岡村 男〓」、その左の石仏は、中央最上部にマンジ、右「六道四生平等利益 長岡村 善男 善女」、左「于時享保三戊戌歳九月吉日敬白」で、 これらも四街道市指定文化財。(寛保3年=1743年、享保3年=1718年)
その左隣、
長岡正福寺跡前石塔石仏群右4-6番目
長岡正福寺跡前石塔石仏群右4-6番目
この写真の中央( 全体で右から5番目 )の石仏は、右「奉〓〓父三十四番」、左「文政二己卯二月吉日」で四街道市指定文化財、その左の石塔は「信州善光寺 秩父〓〓四」(〓〓は三十のはずだが五木に見えるぞ)。
その左隣、
長岡正福寺跡前石塔石仏群右7-10番目
長岡正福寺跡前石塔石仏群右7-10番目
この写真の右端( 全体で右から7番目、左から4番目 )の石仏は、右「安政四丁巳二月吉日」、左「女人講中」、その左の石仏は、右面「文久三癸亥年二月吉日」、その左の石塔は、正面「秩父三十四番」、右面「安政六己未三月吉日」で、ここまでの3基も四街道市指定文化財。(安政4年=1857年、文久3年=1863年) その左の石塔は剥離がひどくて「三月十八日」しか読めない。
さて、この石塔石仏群の反対側ですが、
長岡正福寺跡前石塔石仏群対面
長岡正福寺跡前石塔石仏群対面
写真右枠外に正福寺跡など、写真右祠の右奥が来た道、左手の道の先に60番大師堂ですが、写真奥やや左の下り坂を車が下りていますね。
それでは、大師堂へ参ります。ちょっと進んで、
長岡正福寺60番大師堂前
長岡正福寺60番大師堂前
舗装道路が左に折れるところ、右カーブミラーの奥の青い建物が大師堂です。

長岡の正福寺60番大師堂

六崎組十善講八十八ヶ所60番。(正福寺)

長岡正福寺60番大師堂一帯
長岡正福寺60番大師堂一帯
カーブミラーの右へ真っ直ぐ入って、左に手水鉢のあるところで左に曲がり、左の60番標識塔兼供養塔を回り込んで、大師堂となります。大師堂の左前に、六崎組十善講の説明板があります。

手水鉢

長岡正福寺60番大師堂手水鉢
長岡正福寺60番大師堂手水鉢
手水鉢の正面「奉〓」(〓は糸偏のみ読める)、右面「文政十二 己丑年 〓月吉日」。

60番標識塔兼供養塔

長岡正福寺60番標識塔兼供養塔正面左面長岡正福寺60番標識塔兼供養塔正面右面
長岡正福寺60番標識塔兼供養塔
供養塔の左面中央「新四圀八十八箇所 伊豫國横峯寺」、正面は上部「羽黒山 月山 湯殿山」で月山を一段高く置き、その下は「西圀三十三番 阪東三十三番 秩父三十四番 四國八十八箇所」、一番下に「拜禮」、右面の左上「于時明治十三辰四月」。(明治13年=1880年)

六崎組十善講説明板

長岡正福寺60番大師堂六崎組十善講説明版
長岡正福寺60番大師堂六崎組十善講説明版

60番大師堂

長岡正福寺60番大師堂
長岡正福寺60番大師堂
長岡正福寺60番御詠歌額
長岡正福寺60番御詠歌額
御詠歌額の冒頭は「第六拾番」。
長岡正福寺60番大師像台座
長岡正福寺60番大師像台座
大師像台座には「六十番」。
それでは、次ですが、先ほどの石塔石仏群まで戻って左に切り返して坂を下り、と、そこである小物を紛失したのが発覚、あわてて正福寺周辺に戻って捜索するも、ついに見つからず。ものは黒くて小さいので、草叢に落ちるともうわからん。
あきらめて再度坂を下り、JR総武本線長岡踏切を渡ってそのまま直進します。

次回は、上野の薬師堂(六崎組80番)&上野神社

次回は、上野の薬師堂、続けて上野神社に参ります。