(令和6年5月24日その5)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、臼井台の宗徳寺(25番)&上座の輪正寺(82番)の次は、上座の宝樹院(かけ番候補)に参ります。かけ番とは、番外札所の事です。輪正寺から国道296号をなんとか横断して、上座総合公園の案内看板のある分岐に入ります。しかし、上座総合公園には入らず、公園を右に、田圃を左に見て進み、左から舗装道が突き当たる交差点、ここで右の道に入りますと、谷津田から離れて緩やかに坂を上ります。坂の終わりごろには、左手に宝樹院の墓地が現れます。そのまま道なりに進むと、左手塀越しの宝樹院を通過して、そして宝樹院の看板のある丁字路に至ります。丁字路を通過して反転すると、こんな感じです。その丁字路に入ります。すぐ次の丁字路、左に入ると、宝樹院山門前となります。
上座の宝樹院
臨済宗妙心寺派、寳樹院、佐倉市上座1041番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
六崎組十善講八十八ヶ所かけ番候補。
山門前のスペース、西側には庚申塔、地蔵像、露天の大師像、石塔群、北側に山門、山門前右にも石塔石仏群です。山門を入ると、左に五百羅漢堂、参道途中にサザンカ、参道の奥に本堂、本堂の右にもお堂があって、その先は墓地となっています。
庚申塔
一番端っこの庚申塔は、正面「青面金剛王」、右面「嘉永四辛〓十一月日」、左面には「宝樹院現住全〓」など。(嘉永4年=1851年)
そこから、空のお堂を挟んで右の庚申塔は、正面「青面金剛王」、右面「嘉永四亥十一… 上座村講中」。
大師像
おそらくこれが、かけ番の対象となる大師像だと思われます。左の大きめの大師像台座の右面には「文政… 八月吉日 當村中」、右の大師像台座の正面「明治八亥年 上座村 四月廿一日 講中」。(明治8年=1875年)
六崎組の古い資料によれば、上座地区には、輪正寺(82番)の他にも、「かけ番 上座 奥ノ院」、「かけ番 上座」があったようです。これが宝樹院とは明記されていませんが。
山門
山号は金嶺山。扁額は「金嶺山」。
山門前右石塔石仏群
この中から、この石仏は、右「奉須禮西國三十三所 爲…」、左「文化四丁卯天二月 十八日」。(文化4年=1807年)
境内
五百羅漢堂
扁額は「五百羅漢堂」。「拝観日は原則として、土・日・祝日の午前十時から午後二時」だそうで、この日は閉じていました。
サザンカ
佐倉市指定の天然記念物です。
www.city.sakura.lg.jp
本堂
お堂
本堂右墓地入口の石仏群
写真の左端の石仏は、左「享和二戌年二月吉日」、その右の石仏は、右「奉造立十九夜佛」、左「享保十九甲寅十月吉日」、その右の石仏は、中央上部「十九夜」、右「文化九壬申二月吉祥日」、左「女人講中」で、これらは十九夜塔です。(享和2年=1802年、享保19年=1734年)
次回は、上座の小さな熊野神社&下志津の春日神社
次回は、下志津の報恩寺(かけ番)への道中、上座の小さな熊野神社と、下志津の春日神社に寄り道します。山門から先ほどの看板のあった丁字路まで戻って左折します。