千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝 吉岡の福星寺(74番)

(令和6年4月19日その7)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、中台の観音寺(73番&番外)の次は、吉岡(よしおか)の福星寺(74番)に参ります。
観音寺から南へ、成台中自治会館前を通って、国道51号に出ました。

国道51号四街道市中台新開丁字路(再掲)
国道51号四街道市中台新開丁字路(再掲)
ここを右(西から南西方向)、千葉市街方向に進みます。
この後すぐ、左の脇道に逸れたら良かったらしいのですが、結局国道をそのまま吉岡十字路まで行きました。
国道51号吉岡十字路
国道51号吉岡十字路
そして左折して、千葉県道66号浜野四街道長沼線を南東へ進みました。が、この県道のこの区間、道幅狭く大型車も多く、嫌な感じです。
そうしているうち、吉岡の集落に入ると、横断歩道の先、左に吉岡福星寺入口の看板が現れます。
千葉県道66号吉岡福星寺入口丁字路
千葉県道66号吉岡福星寺入口丁字路
左折します。その先、左に四街道市消防団第7分団の倉庫があって、道の先に福星寺の山門が見えます。
四街道市消防団第7分団倉庫前
四街道市消防団第7分団倉庫前
山門前まで進みます。
吉岡福星寺山門前
吉岡福星寺山門前

吉岡の福星寺

真言宗豊山派、福星寺、四街道市吉岡898番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所74番。
山門手前右の階段を上ると三山供養塔群、山門左前に福星寺館跡の説明板、山門入るとしだれ桜の古木、この桜の左に石塔石仏群、そして上り階段の先に74番大師堂、桜の奥に本堂、桜の右に子桜があります。

福星寺館跡説明板

吉岡下タ山福星寺館跡説明板
吉岡下タ山福星寺館跡説明板
タイトルは「吉岡(よしおか)下タ山(したやま)の福星寺(ふくしょうじ)館跡(かんし)」。これに拠れば、四街道市指定史跡、ここは中世の城跡で、山門の左右に大土塁がある。近世になって福星寺が建立された。境内のしだれ桜は樹齢約360年。(この説明板は昭和63年(1988年)設置。)

山門

吉岡福星寺山門
吉岡福星寺山門

しだれ桜

吉岡福星寺しだれ桜
吉岡福星寺しだれ桜
吉岡福星寺しだれ桜説明板3枚
吉岡福星寺しだれ桜説明板3枚
吉岡福星寺シダレザクラ説明板
吉岡福星寺シダレザクラ説明板
これに拠れば、福星寺の創建は元和2年(1616年)、その頃に親寺である金親の金光院(81番)のシダレザクラを株分けしたもの。この説明板は平成6年(1994年)の設置ですが、ここでも樹齢360年余になっています。

本堂

吉岡福星寺本堂
吉岡福星寺本堂
吉岡福星寺本堂扁額
吉岡福星寺本堂扁額
扁額は「福星寺」、左から右に書いてある。

石塔石仏群

大師堂への上り階段の左右に石塔石仏群があります。まず階段の右、本堂寄りの群から、

吉岡福星寺石塔石仏群本堂寄り
吉岡福星寺石塔石仏群本堂寄り
左から2番目の、最上部左側が少し欠けている石塔は、六十六部供養塔です。
吉岡福星寺六十六部供養塔正面
吉岡福星寺六十六部供養塔正面
吉岡福星寺六十六部供養塔正面正面左面吉岡福星寺六十六部供養塔正面右面
吉岡福星寺六十六部供養塔
正面は梵字3字に「奉納大乘妙典六十六部…」、右面上の年のところは「天」しか読めず、右面下「下総國印旛郡」、左面「二月吉祥日 吉岡村」。
次に、階段の左側、山門寄りの群、
吉岡福星寺石塔石仏群山門寄り
吉岡福星寺石塔石仏群山門寄り
この中の左側、平成期の秩父三十四番供養塔2基の間にある小さな石仏、
吉岡福星寺石塔石仏群の小石仏
吉岡福星寺石塔石仏群の小石仏
右「寛政十午十一月吉日」。(寛政10年=1798年)

74番大師堂

吉岡福星寺74番大師堂
吉岡福星寺74番大師堂
吉岡福星寺74番御詠歌額
吉岡福星寺74番御詠歌額
御詠歌額の冒頭は「第七拾四番 吉岡福星寺」。

子しだれ桜

吉岡福星寺子しだれ桜
吉岡福星寺子しだれ桜
74番大師堂階段下からですと、親株の後方に子株があります。 子株は樹齢約50年、これは平成10年(1998年)時点でなのか、親株より約310年若いという事なのかは、判りません。

三山供養塔群

吉岡福星寺土塁上の三山供養塔群
吉岡福星寺土塁上の三山供養塔群
写真左端に山門です。階段を上って、
吉岡福星寺三山供養塔群
吉岡福星寺三山供養塔群
この中から、まず第2列の左側から、
吉岡福星寺三山供養塔群第2列左側
吉岡福星寺三山供養塔群第2列左側
左から3番目の石塔は、
吉岡福星寺三山供養塔群第2列左3番目
吉岡福星寺三山供養塔群第2列左3番目
正面中央「湯殿山 供養塔」、その左右「月山 羽黒山」、右面「嘉永七甲…」、左面「吉岡村」。(嘉永7年=1854年)
その後方、最後方にある卒塔婆の左前、供養塔群の最後列左側から、
吉岡福星寺三山供養塔群最後列左の石仏
吉岡福星寺三山供養塔群最後列左の石仏
写真中央の小さな石仏には「延享元」とあります。石仏の前の石塔は、正面上部「月山 湯殿山 羽黒山」で湯殿山を高く置き、正面下部「供養塔」、左面「安政三丙辰三月吉日」。(延享元年=1744年、安政3年=1856年)
石仏の左の石塔は、
吉岡福星寺三山供養塔群最後列左の石塔
吉岡福星寺三山供養塔群最後列左の石塔
中央「湯殿山 奉供養大日如来諸願成就祈処」、左右上部「月山 羽黒山」、左右中下部「享和元辛酉年 十二月吉辰」。(享和元年=1801年)
次は、先の小石仏の右隣になります。
吉岡福星寺三山供養塔群後方中央
吉岡福星寺三山供養塔群後方中央
更に、先の小石仏の右ふたつ隣にも石仏です。
吉岡福星寺三山供養塔群最後列中央
吉岡福星寺三山供養塔群最後列中央
こちらの石仏は、正面上部「月山 湯殿山 羽黒山」で湯殿山を高く置き、その下はたぶん大日如来像。 
この写真の奥、ひとつ上の写真でも奥の石塔は、右面「天保四癸巳正月吉日」。(天保4年=1833年)
さらに、ちょっと位置関係は忘れましたが、後方の石塔、
吉岡福星寺三山供養塔群後方の石塔たち1吉岡福星寺三山供養塔群後方の石塔たち2
吉岡福星寺三山供養塔群後方の石塔たち
左の写真の石塔は、中央は種字に「奉造立供養…大権現」、左右上部「天下泰平 国土安全」、右の写真の石塔は、正面の上部中央は種字に「湯殿山」、下部左右「月山 羽黒山」、右面は、文字が斜めで「霜月吉日」ぐらいしかよく判りません。
吉岡福星寺三山供養塔群から境内
吉岡福星寺三山供養塔群から境内

帰宅

次がちょっと遠いので、今日はここまでとしました。本日は、70番(&六崎組50番)、全宅寺、71番、72番、73番&番外、74番、それに神社1ヶ所に参りました。