(令和6年4月25日その1)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、本日は、旧金剛寺(65番関連)跡地である物井御山の不動堂、それから、物井の宝蔵院(66番関連)から始めます。
この物井の2ヶ所は、同じく物井にある円福寺(64番&65番&66番)と、天照皇大神社の記事を書く際の調査で浮上したものです。
本日の出発点は、その物井の円福寺です。
再訪・物井の円福寺
この写真の右側、六地蔵の左から墓地に入り、寺の本堂庫裏の北側を西へ、この写真の中央へ進み、「空海いろは歌の小道」の案内に従って進みますと、やがてお堂が現れます。
桜守権現
扁額は「桜守権現」。この権現堂の前を通って、境内西端に至ると、階段がありますので、下ります。階段は途中で左に折れますが、道路に出て右に反転し、北( 写真の奥 )へ、もねの里4丁目に入っての突き当たり丁字路、左折、すぐ隣の十字路、右折します。その先の上り坂の途中、左折すると、その先、右にこんもりとした杜が見えます。杜の中に不動堂があります。
物井御山の不動堂
四街道市物井御山1261番地。(地番、境内の文化財説明板より)
四街道市もねの里3丁目19番地の1。(住居表示、四街道市Web Siteより)
千葉寺十善講八十八ヶ所65番関連地。(金剛寺)
www.city.yotsukaido.chiba.jp
この道路から右(北西)に入り、参道を進むと、右に説明板、その先に手水鉢や常夜灯があって、奥に不動堂、不動堂の左後方に三山供養塔群、不動堂の右に六角堂礎石、不動堂の右奥に大日如来像など安置するお堂があります。大師堂はありません。
説明板
タイトルは「御山の不動様」。これに拠れば、室町時代中期、この地に「菩提山弘覚院金剛寺」が創建、明治の神仏分離期に廃寺となってからは天照皇大神社(てんしょうこうだいじんじゃ)が所管。
この金剛寺というのは、千葉寺十善講八十八ヶ所の65番に付いている名と同じです。神仏分離によって神社から円福寺に移転したのでしょうか。
境内その1
手水鉢
写真の手水鉢、右「奉寄進御宝前」、左「宝暦八年〓寅 正月二十八日 法印快〓代求之 施主村中若衆」。(宝暦8年=1758年)
常夜灯
常夜灯の正面「常夜燈」、参道と反対の側面「文化十三年丙子正月」。(文化13年=1816年) 撮影時には気付かなかったが、右常夜灯の台座左面に「越中高岡 惣持寺〓子 一基施主 智〓」。
光明真言五十万遍読誦塔
先の説明板に拠れば、四街道市指定文化財だそうです。
不動堂
不動堂の左に、文化財説明板があります。おそらく堂内安置の、木造矜羯羅童子立像、木造制吒迦童子立像、木造飯綱権現立像は、四街道市指定文化財です。
境内その2
三山供養塔群
この中で、最後列左端の石塔、正面の中央「湯殿山供養塔」、その左右上部「月山 羽黒山」、左右面「文化十五戊寅年 二月吉祥日」。
如来像
このお堂に安置の、石造大日如来坐像、石造阿弥陀如来坐像、石造秋葉権現立像も、四街道市指定文化財です。
六角堂礎石
説明板のタイトルは「古刹・金剛寺の六角堂」。これに拠れば、隣の千代田公民館敷地の南隅、権現池中の島の六角堂礎石を、ここに復元した。金剛寺は、寛永17年(1640年)に出羽三山から勧請して権現宮を創り、池、中の島を設けて、島に六角堂を建てた。
そういえば、迅速測図には、「明王堂」(=御山不動堂)の南、今の千代田公民館付近に「湯殿山」(鳥居マーク)が記してあります。この湯殿山は、権現宮が神社に一本化したものでしょう。
その後、元権現宮は大日神社と名を改めたようですが、これは、湯殿山の本地仏が大日如来だからでしょう。大日神社は、最終的には他の神社と合祀されて、天照皇大神社になりました。
さて、境内の左(南西)側から出ましょう。
境内南西側入口
こちらにも説明板がありました。これに拠れば、不動堂も四街道市指定文化財。
次回は、物井の宝蔵院(66番関連)
次回は、物井の宝蔵院に参ります。