(令和6年4月14日その6)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、四街道市下志津新田の金刀比羅宮(番外)の次は、千葉市稲毛区小深町(こぶけちょう)の八幡神社(番外)に参ります。
金刀比羅宮を出て左へ、千葉県道66号浜野四街道長沼線に突き当たって右で、八幡神社前に来ています。この写真の撮影地点が、四街道市と千葉市稲毛区の境になります。目の前の信号交差点まで行くと、神社の鳥居・参道口です。
小深町の八幡神社
八幡神社、千葉市稲毛区小深町43番地2。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。
入口の右に小さな祠と石塔、左にも石塔、参道入ってすぐ鳥居、参道右に手水舎、八幡神社の由緒・沿革説明板、境内社、参道左の県道際にも石塔群、参道真っ直ぐに社殿、社殿の左に小深町自治会館、社殿の右に大師堂です。
鳥居
神額は「八幡神社」。鳥居の右柱( 写真の左 )には「小深辨天大權現共有者一同」とあります。小深の弁天大権現は、小深町280番地の南端に見つけました。
入口右の祠と石塔
この石塔、正面は広く剥離していますが、仏教的な感じがします。正面の右に「嘉」、左に「十一月」、左面「東」以下くずし文字あり、右面「西」で、道標を兼ねています。嘉は嘉永でしょう。(嘉永年間=1848年から1854年)
入口左供養塔
こちらは、正面中央「奉供養湯殿山西国〓」、その右「月山〓東」、左「羽黒山秩父」で三山&百観音供養塔、左右面にも文字があって、こちらも道標を兼ねていたようです。
境内
手水鉢
手水舎の前に古い手水鉢がありました。正面「奉納」、右面「文久元酉年 十一月吉日」。(文久元年=1861年)
八幡神社の由緒・沿革説明板
これに拠れば、ご祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、元は中小深318番地にあったが、明治35年(1902年)に陸軍の下志津原演習用地となったので、現在地に移った。境内社は、以下の通り。
- 稲荷神社、ご祭神は稲倉魂神(いなくらうかのみたまがみ)
- 子安神社、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
- 古峯神社、日本武尊(やまとたけるのみこと)
- 三峯神社、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)
迅速測図には、現在の稲毛区山王町47番地付近に、八幡社が記されています。
境内社
社殿
神額は「八幡大神」。
大師堂
境内左石塔群
この中から、石塔をひとつ、正面の中央は最上部に種字、その下「秩父 坂東 觀世音供養塔」、正面左下「向千葉」、右面「右四街道」、背面「此方下志津」、左面「左犢橋」で、明治以降の67観音供養塔兼道標です。
小深町自治会館
次回は、四街道の東高野山遍照寺(番外)&若松町鎌池の大師堂(番外)
次回は、四街道市四街道の東高野山遍照寺、続けて、千葉市若葉区若松町鎌池の大師堂に参ります。社殿・大師堂の右側から道路に出て左へ進みます。