(佐倉市)旧内郷村の地域探訪 大佐倉の将門口ノ宮神社&八幡神社

(令和6年9月9日その7)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の旧内郷村地域探訪、大佐倉の麻賀多神社の次は、大佐倉の将門口ノ宮神社、続けて、八幡神社に参ります。
麻賀多神社から南南西に進んで、将門口ノ宮神社横の丁字路まで来ています。

大佐倉将門口ノ宮神社横丁字路(再掲)
大佐倉将門口ノ宮神社横丁字路(再掲)
右(西)に行ってから反転します。
大佐倉将門口ノ宮神社前
大佐倉将門口ノ宮神社前

大佐倉の将門口ノ宮神社

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
参道の右に手水舎、説明板です。

手水鉢

大佐倉将門口ノ宮神社手水鉢
大佐倉将門口ノ宮神社手水鉢
手水鉢の中央「石盥盤」、右「寛政八丙辰歳八月」、左「願主 當村 名主」。(寛政8年=1796年)

説明板

大佐倉将門口ノ宮神社説明板
大佐倉将門口ノ宮神社説明板
これに拠れば、将門神社は本佐倉城千葉氏により建立、承応3年(1654年)の遷宮時に、堀田上野介正信( 堀田正信 - Wikipedia )が石鳥居を寄進した。宝暦4年(1754年)には堀田正亮( 堀田正亮 - Wikipedia )が口ノ宮神社を建立し、マテバシイを植えた。石鳥居とマテバシイは、佐倉市指定文化財。

石鳥居

前述のとおり、佐倉市指定文化財。

大佐倉将門口ノ宮神社石鳥居
大佐倉将門口ノ宮神社石鳥居
大佐倉将門口ノ宮神社石鳥居右柱大佐倉将門口ノ宮神社石鳥居左柱
大佐倉将門口ノ宮神社石鳥居柱
右の柱、中央「將門山大明神」、その右「奉寄進石之華表」、左「承應三甲午天十一月吉日」。
左の柱、上中央「總州印旛郡」、下「佐倉之城主従五位下 堀田上野介紀朝臣正信」。堀田氏は本姓を紀朝臣とした。
大佐倉将門口ノ宮神社石鳥居神額
大佐倉将門口ノ宮神社石鳥居神額
神額は「將門・口ノ宮神社」。

再建ノ碑

本殿左に「大佐倉将門口ノ宮神社再建ノ碑」があります。

大佐倉将門口ノ宮神社再建ノ碑
大佐倉将門口ノ宮神社再建ノ碑
これに拠れば、まず将門神社は、ご祭神は平親王将門大明神( 平将門 - Wikipedia )、奥の宮は桔梗塚。口ノ宮神社は、ご祭神は口ノ明神、佐倉惣五郎( 佐倉惣五郎 - Wikipedia )の百年忌に際して、堀田正亮が佐倉惣五郎を口ノ明神に祀った。別当は宝珠院
大正8年(1919年)に社殿焼失、再建ノ碑の日付は平成13年(2001年)。
さて、堀田正信は万治3年(1660年)に江戸からの無断帰城をきっかけに改易された。延享3年(1746年)、正信弟の正俊の孫である正亮が佐倉に転封してくると、正信の圧政に抗議して刑死した惣五郎伝説に対して対処が必要になったのでしょう。

保存樹説明板

大佐倉将門口ノ宮神社保存樹説明板
大佐倉将門口ノ宮神社保存樹説明板
これに拠れば、所在地は佐倉市大佐倉1929-1、千葉氏が口ノ宮神社を建立とある?、保存樹はスギのみで、マテバシイを消したような痕跡がある。
調べてみると現時点では、マテバシイは佐倉市指定文化財ではないようです。

本殿

大佐倉将門口ノ宮神社本殿正面
大佐倉将門口ノ宮神社本殿正面
大佐倉将門口ノ宮神社本殿斜め右から
大佐倉将門口ノ宮神社本殿斜め右から

境内社

社殿の背後に境内社がありました。

大佐倉将門口ノ宮神社境内社
大佐倉将門口ノ宮神社境内社
それでは、次へ参ります。神社の左(北)側の道路を東へ、道が少し右にカーブして、将門町に入ってすぐ、左手に八幡神社の鳥居です。
大佐倉八幡神社鳥居前
大佐倉八幡神社鳥居前

大佐倉の八幡神社

八幡神社、佐倉市大佐倉194番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
周辺は佐倉市将門町ですが、この神社境内・参道のみ佐倉市大佐倉になります。なお、社務所と御神輿庫は、別の場所にありました。

鳥居

大佐倉八幡神社鳥居
大佐倉八幡神社鳥居
大佐倉八幡神社鳥居神額
大佐倉八幡神社鳥居神額
神額は「八幡宮」。

参道

この参道が直線で長い。

大佐倉八幡神社参道
大佐倉八幡神社参道
拝殿近くに来ました。
大佐倉八幡神社参道奥の拝殿前
大佐倉八幡神社参道奥の拝殿前

保存樹説明板

大佐倉八幡神社保存樹説明板
大佐倉八幡神社保存樹説明板

拝殿

大佐倉八幡神社拝殿
大佐倉八幡神社拝殿

本殿

大佐倉八幡神社本殿左前方
大佐倉八幡神社本殿左前方
大佐倉八幡神社本殿右後方
大佐倉八幡神社本殿右後方

帰宅

大佐倉八幡神社拝殿前から参道
大佐倉八幡神社拝殿前から参道
本日はここまでとしました。この日は、下根町から岩名、飯田と通って大佐倉に入り、寺院3ヶ寺、宗教法人名簿に記載のある神社1ヶ所、記載のない神社4ヶ所、大師堂は2ヶ所( 3番、15番 )に参りました。