(佐倉市)旧内郷村の地域探訪 大佐倉の宝珠院

(令和6年9月9日その3)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の旧内郷村地域探訪、大佐倉の浅間神社&住善寺などの次は、大佐倉の宝珠院に参ります。
住善寺から道路に出て左(南)へ、すぐの連続三叉路、

大佐倉住善寺から宝珠院への連続三叉路
大佐倉住善寺から宝珠院への連続三叉路
最初は直進、次は、
大佐倉宝珠院墓地西の三叉路
大佐倉宝珠院墓地西の三叉路
この写真の左から来て、写真奥へと左折します。次の角、
大佐倉宝珠院前
大佐倉宝珠院前
道が右に折れるところの直進方向が、宝珠院の入口になります。

大佐倉の宝珠院

真言宗智山派、宝珠院、佐倉市大佐倉143番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
15番大師堂あり。

自動車参道

大佐倉宝珠院自動車参道
大佐倉宝珠院自動車参道
この参道入ってすぐ右に駐車場入口、保存樹説明板、手水舎、そこで参道の十字路があって、左に折れた先に本堂、正面は左脇に説明板、その奥から右手に大師堂を含む大小諸堂、十字路右折すると、右手に石塔群、少し進むと左右に石塔石仏群、そこから下り階段です。

保存樹説明板

大佐倉宝珠院保存樹説明板
大佐倉宝珠院保存樹説明板

説明板

大佐倉宝珠院説明板
大佐倉宝珠院説明板
これに拠れば、山号は大櫻山(おおさくらさん)、院号宝珠院の読みは「ほうじゅいん」、本尊は大日如来、開基は不詳、永徳3年(1383年)尊宥の中興、本佐倉城千葉家の祈願寺、八幡宮の別当、など。

境内

大佐倉宝珠院境内中央から諸堂
大佐倉宝珠院境内中央から諸堂
大佐倉宝珠院境内中央から本堂
大佐倉宝珠院境内中央から本堂

本堂

大佐倉宝珠院本堂
大佐倉宝珠院本堂
大佐倉宝珠院本堂扁額
大佐倉宝珠院本堂扁額
扁額は、たぶん「大櫻山」。

お堂

自動車参道から真っ直ぐのところのお堂です。

大佐倉宝珠院のお堂
大佐倉宝珠院のお堂
この右に小堂群です。

小堂群

大佐倉宝珠院の小堂群
大佐倉宝珠院の小堂群
この左端は、
大佐倉宝珠院の小堂群左端のお堂
大佐倉宝珠院の小堂群左端のお堂
如来らしき像を安置。その右は大師堂です。

15番大師堂

大佐倉宝珠院15番大師堂
大佐倉宝珠院15番大師堂
大佐倉宝珠院15番御詠歌額
大佐倉宝珠院15番御詠歌額
御詠歌額は、「第十五番大〓倉…」、文字の痕跡があって、15番御詠歌。
この右にもお堂、
大佐倉宝珠院の小堂群左から3番目のお堂
大佐倉宝珠院の小堂群左から3番目のお堂
中は月待塔/子安塔っぽい。さらに右前に地蔵堂。
大佐倉宝珠院の小堂群右端の地蔵堂
大佐倉宝珠院の小堂群右端の地蔵堂

弘法大師一千年忌供養塔

手水舎から右に曲がって右に、弘法大師一千年忌供養塔です。

大佐倉宝珠院弘法大師一千年忌供養塔
大佐倉宝珠院弘法大師一千年忌供養塔
供養塔の正面「弘法大師一千年忌」、台座正面「供養塔」、供養塔の左面「大櫻山現住 法印宥儔代 萬人講中」。弘法大師1000年忌は天保5年(1834年)になる。

参道

大佐倉宝珠院境内中央から南の参道
大佐倉宝珠院境内中央から南の参道
大佐倉宝珠院参道階段上の石塔石仏群
大佐倉宝珠院参道階段上の石塔石仏群
大佐倉宝珠院参道階段上
大佐倉宝珠院参道階段上
本来の参道は、この階段を上って来るのでしょう。

石塔石仏群

階段上っての左側に六地蔵、右側には、

大佐倉宝珠院参道右石塔
大佐倉宝珠院参道右石塔
この石塔、読めたり読めなかったりですが、「大櫻山」、「二世安樂也」などは見えます。
大佐倉宝珠院参道右石仏2基
大佐倉宝珠院参道右石仏2基
写真の右の石仏は、右「奉造立地…夜念佛成就二世安樂之」、左「享保二十乙卯天十二月廿三日…」。(享保20年=1735年)
それでは退出です。と、この時、保存樹説明板の横に、大佐倉小学校跡の標柱を発見しました。

大佐倉小学校跡標柱

大佐倉宝珠院の大佐倉小学校跡標柱
大佐倉宝珠院の大佐倉小学校跡標柱
「大佐倉小学校跡明治五年」。(明治5年=1872年)
今度こそ退出です。

次回は、大佐倉の八幡神社御神輿庫など

次回は、宝珠院の近くにある八幡神社御神輿庫に参り、その後、大佐倉駅から大佐倉地区を時計回りに廻ります。