(令和6年9月23日その2)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の旧内郷村地域探訪補遺編、土浮の金刀比羅神社&庚申塔&萩山新田の大師堂などの次は、京成本線沿いの大佐倉地区まで廻ります。
前回から途中省略しまして、京成佐倉駅の東隣の踏切近くからになります。踏切の北側手前に、佐倉川の柏葉橋があり、橋の右(西)、暗渠の佐倉川と京成本線の間に、集会所が2軒あります。東側が宮前柏葉集会所、西側が鍋山集会所です。
宮前柏葉集会所と鍋山集会所
宮前とは京成佐倉駅北の宮前地区、柏葉というのは、飯田地区の南側の小字ではないかと推測します。いずれも、旧内郷村の範囲内です。一方、鍋山というのは、線路の反対側にある鍋山町( 鍋山新田 )を指すのでしょう。鍋山新田は、明治22年成立の旧佐倉町に属しました。
萩山青年館などのように、集会所には大師堂が付設されている場合もあるので、チェック対象なのですが、こちらには大師堂などはありませんでした。
また、途中省略しまして、京成本線の東隣駅、大佐倉駅に飛びます。ここからは飛ばずに移動します。隣の踏切を渡って左へ、だいたい線路に沿って移動すると、左折と直進の丁字路、丁字路左の先は線路を跨ぐ橋、そして宝珠院階段参道があります。
大佐倉の宝珠院南側参道
線路の上の橋にて撮影。そして、階段参道へ。参道下から、線路の反対側左(東)に見える杜の中に、大佐倉の麻賀多神社があります。丁字路まで戻って左へ、緩やかな下り坂の途中右手に、麻賀多神社の階段参道です。
大佐倉の麻賀多神社北側参道
階段参道の上には、危険なので利用しない旨の掲示がありましたが、下にはありませんね。
この参道の北側、線路の向こうには、竹林の中に大佐倉の金比羅神社、その向こうに大佐倉の勝胤寺の建物がちょっとだけ見えます。
さらに線路沿いの道を東に進みますと、線路の反対側に民家がかたまって建っています。この民家3軒、地図などを見るに、どうやら勝胤寺の旧参道上に建っているようです。旧参道は、京成本線が開通したことで分断され、寺の反対側の部分は用途変更されたと思われます。
民家3軒の南東側には、本佐倉城跡が見えます。さて、道路は十字路に出て右折、民家3軒の反対側に回りこむと、そこには石塔石仏群がありました。
旧内郷村大師堂まとめ
ここで、旧内郷村で発見した大師堂をまとめます。
飯野の東徳寺・飯野観音
16番大師堂
土浮の正福寺
17番&27番大師堂
飯野高座木の大師堂
11番大師堂
岩名の玉泉寺
大師堂( 番号不明 )
下根の下根公会堂
大師堂( 番号不明 )
山崎の隆祥寺
20番大師堂
大佐倉の宝珠院
15番大師堂
大佐倉の勝胤寺
3番大師堂
萩山新田の大師堂
大師堂( 番外/19番?/26番 )
次回は、将門町地区へ
次回からは、(明治22年)旧佐倉町の地域探訪となります。最初は将門町を廻ります。石塔石仏群から南へ進みます。