アキレス腱断裂から、ようやっと復活しました。このブログも、以前のように更新していくつもりです。
(令和5年4月5日その1)
東葛印旛大師巡拝・手賀の島大師巡拝を再開しました。
まずは、前回最後に参った、布瀬の木崎薬師堂(11番)からスタートすべく移動します。すると、下手賀沼の西側にある今井の桜に差し掛かりました。
今井の桜

もう盛りを過ぎて、かなり散っていましたが、ここは、下手賀沼にそそぐ小川、金山落(かなやまおとし)の両岸約2kmに続く桜並木のあるところです。なお、この辺りは両岸とも白井市の今井になります。

説明板によれば、昭和35年(1960年)にソメイヨシノを植えたのが始まりだそうです。

この写真の奥、田んぼのさらに向こう側は、柏市の下柳戸地区( 六所神社(元40番)や阿弥陀堂(40番) )になります。
金山落を東に進み、手賀沼に至る前の最後の橋の所で桜並木から離れて北へ進み、突き当りを右折(東進)します。道なりに北東、南東、北東方向と蛇行した後、左折して、坂を上ると、木崎薬師堂の前に出ます。

木崎薬師堂近くの神社たち
薬師堂の近辺に、島大師の札所となっている神社があるとの情報を得たので、先ずはそちらに参ります。薬師堂を左に見ながら舗装道路は左に曲がっていますが、直進して電柱とカーブミラーの間に進みます。その先は少し下っていて、こちらでいいのか不安になりますが、下からの小径と合流すると、上りに転じます。

その先の藪の中で、例の島大師の標識塔を、右側に2本、左側に1本、確認しました。

この写真ですと、左側の1本は、手前の竹の陰になっています。まずは、右側から。
平親王と疱瘡神
島大師15番&17番を確認。

島大師の標識塔2本の間は上りになっており、きれいに除草されていて、まるで「参道」です。写真右の標識塔は17番、写真左の標識塔は15番です。
島大師17番標識塔



標識塔の正面「新〓〓十七番」(〓〓は四國であろう)、左面「阿州井上寺移平親王」、右面「文化十酉年」とあります。(本家四国八十八ヶ所の17番札所は井戸寺。平親王とは平将門の事。文化10年=1813年。)
島大師15番標識塔



標識塔の正面「新四國十〓番」(〓は五であろう)、左面「阿州國分寺移疱瘡」、右面「文化十酉年」とあります。(本家四国八十八ヶ所の阿波国分寺は15番札所。)
奥の祠へ
「参道」を進みます。

その先左側に、大きめの祠と、小さな石祠があらわれます。

小さな石祠には、鷺森大明神とあります。

大きめの祠のご祭神は不明です。島大師の標識塔からすると、平親王と疱瘡神という事になるのでしょうか。全然わからん。

さて、先ほどの所に戻り、反対側を確認します。
皇太神宮
島大師の14番を確認。
島大師14番標識塔



標識塔の正面「新四國十四番」、左面「阿州常樂寺移神明宮」、右面「文化十酉年」とあります。
皇太神宮参道から
標識塔の先には、参道があります。

その先に、鳥居と本殿があります。

標識塔には「神明宮」、鳥居の扁額には「皇太神宮」とありますが、ここでは、同じとみてよいでしょう。