(令和5年2月17日)
この日は、船橋市夏見の夏見城跡・長福寺(葛飾大師25番)、序に薬王寺(下総四郡大師23番、葛飾大師23番)に行ってみました。長福寺と薬王寺については再訪になります。
夏見城跡・長福寺
船橋市の夏見( 及び夏見台 )は、Δの形をした台地になっており、その南東端が、夏見城跡、及び、長福寺になります。そのさらに東の平地、夏見5丁目公園の前から見ると、この緑の所が夏見城跡らしいのです。
さて、夏見5丁目公園前の道を西に進むと、押ボタン式信号のある交差点があり、そこを右折すると、長福寺への上り坂になります。坂を上ると、右手に長福寺です。この石柱門の右上、「船橋市指定樹林標識」の看板の陰に、葛飾大師の25番標識塔があります。以前の記事の時点では気づきませんでした。
葛飾大師25番標識塔
標識塔正面の中央「新四國八十八箇所」、正面の右「第廿五番土佐国津寺寫」、右面「大正五年十月吉日」とあります。(大正5年=1916年)
長福寺境内については、以前の長福寺の記事を参照してください。
夏見城跡?
門から本堂に進み、本堂の左を廻って裏手の墓地にお邪魔して、その右側、緑の方へ進みますが、奥の空間にブランコが見えますものの、封鎖されていますので、ここまでとしました。この封鎖箇所を斜めに見ると、これは城の土塁の跡にも見えます。
薬王寺
さて、長福寺から、夏見の台地の南端を東に進みますと、薬王寺です。境内の詳細は、以前の薬王寺の記事を参照してください。
ここでは、以前には興味を持たなかった、十九夜塔4基の写真を載せます。これらの十九夜塔の造立時期は、写真の左から順に、「元禄十五壬午十月十九日」(元禄15年=1702年)、「元文二丁巳年十月吉日」(元文2年=1737年)、「享保元丙申天十月十九日」(享保元年=1716年)、「元禄三年十月十九日」となっています。