東葛印旛大師&島大師巡拝 手賀の興福院(75番&77番&85番)

(令和4年9月25日その6)
東葛印旛大師巡拝、手賀の稲荷社(64番)の次は、手賀の興福院(75番&77番&85番)に参ります。
稲荷社の参道を南に戻り、舗装道路に出て左折、すぐ右の手賀児童遊園という小さな公園を突っ切ると、興福院の山門の横に出ます。

興福院

真言宗豊山派、興福院、柏市手賀712番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師75番&77番&85番。
下総四郡大師75番&77番&85番。
下総三十三観音8番。
島大師22番&23番&61番&69番&70番、番号不明1ヶを確認。
これらとは別に44番大師堂あり。
山門の左前に 77番標識塔、右前に75番標識塔、左横に旧沼南町設置の標柱、山門を入って左側は順に、手賀構造改善センター、75番&77番&85番大師堂、44番大師堂、修行大師像と並び、大師堂の左右には85番標識塔や島大師の標識塔複数があります。その先、右に宝篋印塔、最後に本堂です。

山門

興福院山門
興福院山門

77番標識塔

77番標識塔正面左面
77番標識塔正面左面
77番標識塔正面右面
77番標識塔正面右面
標識塔の正面「新四國七十七番」、右面「讃州 道隆寺」、左面「文化五辰四月吉日明王院」とあります。(文化5年=1808年)

75番標識塔

75番標識塔正面右面
75番標識塔正面右面
75番標識塔左面背面
75番標識塔左面背面
標識塔の正面「新四國七十五番」、右面「讃州善通寺」、左面「興福院」、背面「文化五戊辰歳二月十一日」とあります。

旧沼南町設置の標柱

旧沼南町設置の標柱
旧沼南町設置の標柱
これに拠れば、本尊は十一面観音、寺域とその周辺は手賀城跡。

手賀構造改善センター

手賀構造改善センター
手賀構造改善センター
この地域、各地区に構造改善センターと題した建物が、公民館みたいな顔して有ることが多いのです。

75番&77番&85番大師堂

東葛印旛大師(兼 下総四郡大師)の3札所を纏めた大師堂です。

75番&77番&85番大師堂
75番&77番&85番大師堂
77番番号札と御詠歌額
77番番号札と御詠歌額
75番番号札と御詠歌額
75番番号札と御詠歌額
85番番号札と御詠歌額
85番番号札と御詠歌額
昔、文政期から明治にかけて、77番札所は手賀の明王院に、85番札所は手賀小山の(大日堂)千手院に、それぞれありました。明王院は、現在の西光院跡(86番)の辺りにあったような雰囲気がします。また、大日堂については、古い地図に記載があり、兵主八幡両神社(13番)南の庚申塔群から南東に折れた道と、阿弥陀堂(40番)の南を東西に走る道との交点付近にありました。

85番標識塔&島大師69番標識塔

75番&77番&85番大師堂の右に、標識塔が2本あります。南側の少し大きいのが85番標識塔、北側の少し小さいのが島大師69番標識塔です。

85番標識塔&島大師69番標識塔正面
85番標識塔&島大師69番標識塔正面
85番標識塔&島大師69番標識塔左面
85番標識塔&島大師69番標識塔左面
85番標識塔右面
85番標識塔右面
島大師69番標識塔右面
島大師69番標識塔右面
85番標識塔の正面「新四國八十五番」、右面「讃州八栗寺」、左面の左右「文化四丁卯天〓月十日」とあります。西光院跡(86番)の標識塔と同じく文化4年の、何方かの供養塔を兼ねたものです。
島大師69番標識塔の正面「新四國六十九番」、左面「讃州観〓寺」とありますが、右面は読めませんでした。

44番大師堂

44番大師堂
44番大師堂
44番御詠歌額
44番御詠歌額
この大師堂は、東葛印旛大師の番付の札所ではありません。島大師のものかは不明ですが、島大師の標識塔は見当たりません。

修行大師像

興福院修行大師像
興福院修行大師像
像の左後ろでシルエットになっているのが、44番大師堂です。

宝篋印塔

興福院宝篋印塔
興福院宝篋印塔
興福院宝篋印塔部分
興福院宝篋印塔部分
「安永五龍集丙申十月吉辰」とあります。(安永5年=1776年)
興福院宝篋印塔修復の碑
興福院宝篋印塔修復の碑
これに拠れば、東日本大地震で崩落したものを修復したそうです。

本堂

興福院本堂
興福院本堂
興福院本堂の札
興福院本堂の札
下総三十三観音の対象です。

次回は、興福院(75番&77番&85番)の続き

次回は、興福院にある残りの島大師について書いた後、興福院平和公園共同墓地に参ります。