(令和5年4月5日その2)
東葛印旛大師巡拝・手賀の島大師巡拝、木崎薬師堂近くの皇太神宮などの続きです。
続・木崎薬師堂近くの神社たち
皇太神宮の参道下まで戻って左折し、東へ、薬師堂とは反対方向に進み、藪を抜けて畑地に出ます。Google Mapに拠れば、この右(南)側の藪の中に浅間神社があって、そこには島大師8番標識塔があるらしいのですが、どこでしょうか。
畑地の中の道を進むと、右手の藪の中に暗い穴が見えてきました。右折してその穴に入り、しばらく進むと、やや下り斜面になった所で、左に鳥居を認めました。確認できたところで、いったん畑地に戻って撮影します。この写真の右から来て、左へ進みます。この黒い穴へ進んで、左に鳥居があり、一方、右には、写真だとわからないですが、島大師の標識塔がありました。
浅間神社
島大師8番&21番を確認。鳥居の扁額には浅間神社、石祠には浅間宮とありました。
さて、島大師の標識塔です。この写真の奥が通過した畑地、右手が浅間神社になります。写真の中の右が8番標識塔、左が21番標識塔です。
島大師8番標識塔
標識塔の正面「新四國八番」、左面「阿州熊谷寺移天神宮」、右面「文化十」とあります。
島大師21番標識塔
標識塔の正面「新四國廿一番」、左面「阿州大龍寺移〓元宮」(〓は仙でしょう)、右面「文化十酉年」とあります。(文化10年=1813年)
別の石祠
標識塔には、天神宮と仙元宮(浅間宮)とありました。そういえば、浅間神社参道手水鉢の右に、石祠がありました。そちらが天神宮なのでしょうか。文字は読み取れません。
それでは、戻って次へ参りましょう。畑地まで戻り、そのまま畑の中の轍のある道を左に進みますが、木崎薬師堂・皇太神宮の方向には進まず、徐々に右に曲がります。その先、千葉県道282号に出る途中、八重桜などの木々の根元に、何かがあります。これが、島大師13番標識塔をもつ、八剱神社なのでした。
八剱神社
島大師13番を確認。小さな祠と、その左手前に島大師13番標識塔があります。
島大師13番標識塔
標識塔の正面「新四國十〓番」(〓は三だろうか)、左面「阿州一宮移八剱宮」(一宮は、一ノ宮、或は、一之宮かも)、右面「文化十酉年」とあります。(本家四国八十八ヶ所の13番札所は、神仏分離までは、一宮神社)
八剱神社
それでは、これで島大師の巡拝を終えて、このまま県道282号に出て左折、またすぐ左折して進み、木崎薬師堂の前を通り過ぎて、次の東葛印旛大師の札所へ参りましょう。
と、思ったら、木崎薬師堂坂下の所で、島大師の標識塔らしきものを発見してしまいました。この交差点の左手前に、石塔が2本あり、左の1本は詳細不明ですが、右の1本は島大師20番標識塔です。
島大師20番標識塔
標識塔の正面「新四國二十」、左面「阿州鶴林寺移」、右面「文化十酉年」とあります。(本家四国八十八ヶ所の鶴林寺は20番札所)
なお、左の1本は、大半が埋っているか欠けているかしており、その正面「新四」、右面「明治丗」とあります。
これにて、手賀の島大師の標識塔調査は、一応終了となります。
次回は、今井の東海寺跡(東葛印旛大師61番)
次回は、今井の東海寺跡(61番)に参ります。西へ進路を取り、台地の下、谷津田の北の道を進みます。
更新履歴
2023年04月12日18時30分、初版公開
2023年04月12日19時45分頃、URL変更