千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝 大宮町の泉福寺(番外)

(令和5年9月14日その5)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、川戸町の福寿院(番外)の次は、大宮町(おおみやちょう)の泉福寺(番外)に参ります。
福寿院の門を出て左に道を戻り、新道に出る三叉路、

川戸福寿院の北の三叉路
川戸福寿院の北の三叉路
ここを右(写真の奥)に、すぐの信号三叉路は直進で、川戸橋を渡ります。その先、道が緩い上り坂になった後、右にカーブしますが、
千葉市若葉区大宮町川戸橋東
千葉市若葉区大宮町川戸橋東
写真に写っている3ヶ所の左分岐、その一番奥で左に入ります。(道の右カーブの直前で左折して、それ以上は坂を上らない。) その先しばらくして、泉福寺(番外)の山門に出ます。

大宮町の泉福寺

天台宗、泉福寺、千葉市若葉区大宮町1583番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。
山門を入ってすぐ右に大師像が置いてあります。山門からは参道真っ直ぐに本堂、本堂の右には上り階段があります。
今日廻った寺々の中で一番広く、緑の多い境内です。

大宮泉福寺
大宮泉福寺

山門

大宮泉福寺山門
大宮泉福寺山門
山号は妙高山。

大師像

大宮泉福寺大師像
大宮泉福寺大師像
3体の大師像があり、うち左と中央の2体が弘法大師像、右はおそらく伝教大師像でしょうか。
大宮泉福寺弘法大師像台座
大宮泉福寺弘法大師像台座
弘法大師像の台座のうち、中央(写真右)の台座には「十八番 上坂尾村 みよ」、左の台座には右「十善講社中」、左「明治三十三年七月 日新建立」とあります。(明治33年=1900年)
ここで、山門前に駐車していた車が移動したので、山門を再撮影します。

山門再撮影

大宮泉福寺山門再撮影
大宮泉福寺山門再撮影
山号は妙高山。

参道

大宮泉福寺参道
大宮泉福寺参道

常夜灯

大宮泉福寺常夜灯左大宮泉福寺常夜灯右
大宮泉福寺常夜灯
左の常夜灯の正面「常夜燈」、右面「文政十一年 子四月吉日」、台座正面「若者中」、右の常夜灯の正面も「常夜燈」、右面は日陰でよく読めず、台座正面「現住心淵代再興」とあります。(文政11年=1828年)

本堂

大宮泉福寺本堂
大宮泉福寺本堂
天水受には、丸に武田菱の紋があります。

境内右奥

大宮泉福寺境内右奥
大宮泉福寺境内右奥
この階段、登るのはもうしんどい、どうしようか。
えと、階段登り口の左に名号塔があります。

名号塔

大宮泉福寺名号塔正面大宮泉福寺名号塔右面
大宮泉福寺名号塔
大宮泉福寺名号塔背面大宮泉福寺名号塔左面
大宮泉福寺名号塔
名号塔の正面「南無阿彌陀佛」、右面「〓山道人念佛集會〓月十三日廿八日」、背面の右上「天下泰平 國土安全」、右下「如意山當職乘寛 妙光山現住證〓 圓純」、左「天保五甲午年六月」、左面「念佛同行惣 善男善女老若一同二世安樂之〓」とあります。(天保5年=1834年) 如意山とは、この階段を登って左にある栄福寺のことです。また、妙光山とは、ここ妙高山泉福寺のことでしょう。

階段上

(この項のみ令和5年9月18日その1分割)
後日、階段の上を通りました。その時の写真です。

大宮泉福寺階段上
大宮泉福寺階段上
この写真の左枠外に、庚申塔があります。
大宮泉福寺階段上庚申塔
大宮泉福寺階段上庚申塔
(令和5年9月18日その1分割ここまで)

帰宅

今日はここまでとします。本日は、都川と支川都川流域の番外札所5ヶ所などに参りました。