印西大師・印西地区の大師堂巡拝 寄り道 清戸の宗像神社など

(令和5年4月27日その1)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、本日は、物木の竜湖寺(47番)を最初の目標にして、移動開始します。
船橋からの移動経路途中、清戸の薬王寺(23番)の向かいに、祠があるようなので、寄ってみます。

清戸薬王寺向かい
清戸薬王寺向かい
この写真奥が薬王寺で、祠は左手前になります。

清戸の子安祠

清戸子安祠
清戸子安祠
実は、ここには浅間社があるとの情報を得て、そんなのあったかなと、確めに来たのです。鳥居、神額は無く、内部を拝観すると母子像がありました。浅間社ではなく子安祠でした。

清戸子安祠の六十六部供養塔

この祠の右前、道路際に、六十六部供養塔がありました。

清戸子安祠の六十六部供養塔正面左面清戸子安祠の六十六部供養塔正面
清戸子安祠の六十六部供養塔
供養塔の正面中央「六十六部供養塔」、その左右上部「天下和順 日月清明」、その右下「大坂」、台座に「諸國同行中 大坂」、左面上部「天保十五辰歳三月吉日」、その右下「當邑世話人」などとあります。(天保15年=1844年) 大坂って、今の大阪の事かな。
これだけだと何なので、清戸の宗像神社にも寄り道します。道路に出て左、すぐの三叉路も左で神々廻・船尾街道の坂を上ります。坂上、千葉県道189号の暫定三叉路は真っ直ぐ、すぐの古道との十字路、右に宗像神社です。ちょっと左に入ってから振り返って撮影します。
清戸宗像神社前
清戸宗像神社前
この辺りは、県道新設工事が進めば、また様子が変わるはずです。

清戸の宗像神社

宗像神社、白井市清戸553番地。(千葉県の宗教法人名簿より)

清戸宗像神社
清戸宗像神社
鳥居から長い参道を真っ直ぐに本殿、鳥居の右に庚申塔、参道途中の右に手水舎のある辺りの左に宗像神社本殿改修記念の碑、本殿の左後ろに古い神額があります。なお、大師堂はありません。

鳥居

清戸宗像神社鳥居
清戸宗像神社鳥居

庚申塔

清戸宗像神社庚申塔左面清戸宗像神社庚申塔正面右面
清戸宗像神社庚申塔
庚申塔の右面中央「奉待庚申供養」、その左右「諸願成就 如意満足處」、左面中央「享保九甲辰天四月吉日」、その右下「下総國印旛郡印西領清戸村」とあります。(享保9年=1724年) 印西領とは、印西地方の事で、この「領」という地域区分は、後北条期以来、関東にみられるものらしいのですが、検索キーワードとしては実に不便です。○○氏領、大名領、旗本領とは違います。印西領や葛西領のように印旛郡や葛飾郡よりは狭い範囲を指します。結局、よくわかりません。
また、庚申塔の右に道標があります。鳥居や庚申塔に合わせるところの道標の正面左「←船穂村武」(武西?)、正面右「→白井村神」(神々廻?)、右面左「←十余一〓」、右面右「→豊富村」とあります。方向が全部逆なので、この道標は、今とは逆向きに設置されていたようです。多分、鳥居の前、古道との十字路の反対側にあったのでしょう。

手水舎と記念碑

清戸宗像神社参道途中
清戸宗像神社参道途中

宗像神社本殿改修記念の碑

宗像神社本殿改修記念の碑
宗像神社本殿改修記念の碑
これに拠れば、慶長8年(1604年)再建、天保2年(1831年)三建、県道整備に伴って本殿改修等、とのことです。

手水鉢

清戸宗像神社手水鉢
清戸宗像神社手水鉢
手水鉢には「寛政〓卯十二月」とあるようです。(寛政の卯年=寛政7年=1795年)

本殿

清戸宗像神社本殿
清戸宗像神社本殿

古い神額

清戸宗像神社の古い神額
清戸宗像神社の古い神額

次回は、物木の竜湖寺(47番)

次回こそは、物木の竜湖寺(47番)に参ります。県道に出て東へ進み、そのまま、印西市の泉(新田)、牧の原経由で、滝と物木の境、先日引き返した地点に到達します。