印西大師・印西地区の大師堂巡拝 竹袋の三宝院(41番)

(令和5年4月17日その7)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、竹袋の神宮寺(64番)&竹袋稲荷神社の次は、竹袋の三宝院(41番)に参ります。
既に、千葉県道64号、右に竹袋稲荷神社の表参道、左に三宝院という所に来ています。

三宝院入口と竹袋稲荷神社表参道入口(再掲)
三宝院入口と竹袋稲荷神社表参道入口(再掲)
竹袋稲荷神社からは、こうなっています。
竹袋稲荷神社表参道からの三宝院
竹袋稲荷神社表参道からの三宝院

竹袋の三宝院

天台宗、三宝院、印西市竹袋157番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師41番。
総州六阿弥陀5番。
石柱門のある参道をしばらく進むと、本堂のあるスペースがあります。この自動車も出入りできる参道とは別に、本来の参道も少し南側にあって、そちらは、入口右に総州六阿弥陀5番標識塔、参道を進むと山門、その先真直ぐに本堂、本堂の左前に説明板、山門と本堂の間右手に41番大師堂となっています。

石柱門・参道・境内

竹袋三宝院石柱門・参道
竹袋三宝院石柱門・参道
竹袋三宝院境内
竹袋三宝院境内

説明板

竹袋三宝院説明板
竹袋三宝院説明板
これに拠れば、寛正6年(1465年)に慈眼庵として創建、寛文初期(1661年-1663年)に三宝院に改められて現在地に移転、その後、竹袋稲荷神社の別当寺になって稲荷山神宮寺三宝院と称したそうです。

本堂

竹袋三宝院本堂
竹袋三宝院本堂

41番大師堂

41番大師堂
41番大師堂
印西大師41番番号札
印西大師41番番号札
なお、本家四国八十八ヶ所の41番竜光寺は、山号を稲荷山といいますが、もともと神仏分離期までは、竜光寺と同地にある三間の稲荷神社が41番札所でした。

本来の参道

竹袋三宝院本来の参道入口
竹袋三宝院本来の参道入口

総州六阿弥陀5番標識塔

総州六阿弥陀5番標識塔正面左面総州六阿弥陀5番標識塔右面
総州六阿弥陀5番標識塔
標識塔の正面「六阿彌陀第五番」、右面の下部右「文政十年丁〓四月建之」とあります。(文政10年=1827年)

本来の参道入口左の石仏

竹袋三宝院参道入口左の石仏
竹袋三宝院参道入口左の石仏
左の地蔵像台座は、正面中央「奉造立地藏尊念佛構中」、その左右「享保七壬寅年 八月廿四日」、中央の六地蔵には「天明七丁未天 十一月吉日」、右の石仏は「奉建立十九夜講中 明和四亥天 十月吉日」とあります。(享保7年=1722年、天明7年=1787年、明和4年=1767年)

本来の参道から山門

竹袋三宝院本来の参道から山門
竹袋三宝院本来の参道から山門
こちら側、趣があります。自動車は通れませんが、歩いて出入りしても良いのかどうか。
それでは、次の宝泉院地蔵堂(20番)に参ります。三宝院から県道に出て左(南)に進みます。すると直ぐに、右手に石塔石仏があります。こちらは墓地の北端になります。

竹袋三宝院南の石塔石仏群

竹袋三宝院南の石塔石仏群
竹袋三宝院南の石塔石仏群
写真前列の右端の石塔は、正面中央「奉待二十三夜」、その左右「明和二酉天 十月吉日」、そこから左に3つ目の庚申塔は、右面の一番上に「北」「東」、その下に仮名があって、道標を兼ねていたようです。
引き続き県道を南へ進みますと、県道が左へカーブするところに、右側(大森側)と向こう側(別所側)から道路が交わる変則十字路となります。
千葉県道64号竹袋の南の変則十字路
千葉県道64号竹袋の南の変則十字路
ここを、真直ぐに進みます。(県道からだと右折扱い。) その道路の先にお堂が見えますが、これが宝泉院地蔵寺地蔵堂になります。

次回は、別所の宝泉院地蔵堂(20番)

次回は、別所の宝泉院地蔵堂(20番)に参ります。

更新履歴

2023年05月15日18時30分、初版公開
2023年05月16日18時35分頃、「左折扱い」→「右折扱い」