(令和5年4月17日その8)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、竹袋の三宝院(41番)の次は、別所の宝泉院地蔵堂(20番)と熊野神社に参ります。
千葉県道64号が印西市竹袋の南にて、北から来て東向にカーブする変則十字路、ここを、真直ぐに右折して南に進みます。その先にあるのが宝泉院地蔵堂などです。いったん通過して、南側から境内に入りましょう。こちらからですと、参道が2つあり、右(東)・道路寄りが熊野神社の参道、左(西)の広めの参道が地蔵堂の参道です。いちおう、参道は別れていますが、境内は一緒です。左から入ります。
別所の宝泉院地蔵寺
天台宗、地蔵寺、印西市別所1005番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
この住所は、少し離れた場所の住所で、そちらに本堂や70番大師堂があります。
地蔵堂
印西大師20番。
参道入って右に別所の獅子舞説明板、参道真っ直ぐに山門、その先も真っ直ぐに地蔵堂、山門の右前に瞽女奉納手水石とその石碑、山門入ってから左に20番大師堂、その右隣に子安堂があります。
参道
別所の獅子舞説明板
印西市の無形民俗文化財に指定されています。
www.city.inzai.lg.jp
山門
山号は金竜山(金龍山)。
瞽女奉納手水石と石碑
何が彫られているかは、石碑の下段に書いてあります。手水石の背面(東側)の南側が、「享和三癸亥歳 仲秋吉日」、「當村願主 瞽女キヨ 若者中」。右面(南側)は、「惣深村 香取平左右エ門」、「發作村 越川五平治」、「木下宿 吉岡七良左右門」、「常州鹿嶌 瞽女 ヒテ」、「布鎌押付 瞽女 キ井」。左面(北側)、「布鎌惣村々 世話人 與兵衛 同 彌兵衛 同 市兵衛」、「龍腹寺村」、「宝田村」。背面の北側に回向文です。(享和3年=1803年)
3人の瞽女(ごぜ)の名が願主等に名を連ねる、珍しいものです。
山門からの境内
地蔵堂
20番大師堂
本家四国八十八ヶ所の20番鶴林寺の院号は宝珠院、本尊は地蔵菩薩で、ここ宝泉院地蔵堂と似ています。
大師堂の左右に、弘法大師供養塔が建っています。
弘法大師供養塔
左の供養塔の正面「南無大師遍照金剛供養塔」、左面「大正五年七月日」「大導師 別所 寳泉院尭歓」「副導師 小林 光明寺真孝」、台座正面「木下町」とあります。(大正5年=1916年)右の供養塔の正面「南無大師遍照金剛」、右面「先達 笠神 南陽院 砂田 西福寺 萩原 龍泉院」、左面「昭和十四年九月二十一日」、台座正面「小廻組合」とあります。(昭和14年=1939年)
子安堂
続けて、隣の熊野神社に参ります。
別所の熊野神社
熊野神社、印西市別所1013番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
地蔵堂の右後ろに拝殿、拝殿の右前に、熊野神社本殿覆屋弊殿拝殿水舎等改築記念之碑、拝殿から南に真っ直ぐに参道があって、隣の山門より南に鳥居となります。
拝殿
改築記念之碑
これに拠れば、ご祭神は、伊弉冉尊、事解男尊、速玉男尊。延暦年中の創建、元文元年に紀伊熊野本宮より再勧請、安永2年に再建。(延暦年間=782年から806年、元文元年=1736年、安永2年=1773年)
参道・鳥居
最後に、境内・敷地の西側道路沿いにある庚申塔群を見ます。
庚申塔群
次は宝泉院(70番)になります。ここ地蔵堂(20番)と同じ寺院ですので、一気に廻りたいところですが、カメラの電池残量が少なく、撮りきれるか不確かなので、今日はこれまでとします。本日は、印西大師の番付札所を7ヶ所、他所の大師堂を5ヶ所参りました。
更新履歴
2023年05月16日18時30分、初版公開
2023年05月24日09時00分頃、「ヵ所」→「ヶ所」