2023年遍路第16日その3、浄瑠璃寺(46番)から八坂寺(47番)参道に出て西へ進むところから。
遍路第16日(平坦ステージ)
日付 : 2023年11月1日
浄瑠璃寺での参拝・納経を終えて、愛媛県道194号久谷森松停車場線には戻らないで北西方向に移動し、八坂寺の参道直線路に出て左折した。
ほどなく、八坂寺に到着する。
八坂寺
真言宗醍醐派、八坂寺、愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773。(四国八十八ヶ所霊場会Webより)
四国八十八ヶ所47番。
88shikokuhenro.jp
ja.wikipedia.org
八坂寺の読みは「やさかじ」。
参道直線路の突き当たりに山門、山門入って参道は、途中の左に宝篋印塔、参道の先階段登って左に修行大師像、参道の奥に本堂、本堂の左に大師堂、本堂の右に熊野十二社権現堂、本堂と大師堂の間に閻魔堂がある。修行大師像の手前に八坂寺の説明板、本堂の左前に木造阿弥陀如来坐像の説明板があった。そして、山門前で斜め左に入ると、途中左に開山神変大菩薩( 役行者 )像、その先は駐車場で、奥に不動明王像( いやさか不動尊 )がある。
山門
撮影時刻は09時35分。山門は小さいが、これは橋でもある。そのまま駐車場へ移動する。
駐車場側から境内
駐車場から直接境内に出入りできるが、まずは山門に回ろう。
開山神変大菩薩像
境内参道
写真には写っていないが、山門入ってすぐ左にサイクルラックがあった。
宝篋印塔
この宝篋印塔は松山市指定の有形文化財。[松山市Web:宝篋印塔]
八坂寺説明板
これに拠れば、山号は熊野山、院号は妙見院、中世に熊野十二所権現を勧請して熊野山八王寺と呼ばれたとある。本尊は阿弥陀如来坐像。
修行大師像
本堂
扁額は「無量壽如来」。
大師堂
中央( 写真の左 )の扁額は、左の字は読めないが「金剛」かな? 右の扁額は定番の「弘法」。
閻魔堂
木造阿弥陀如来坐像説明板
これに拠れば、本尊の木造阿弥陀如来坐像は、愛媛県指定の有形文化財。
www.city.matsuyama.ehime.jp
熊野十二社権現堂
それでは、本堂、大師堂とお勤めして納経所へ。
いやさか不動尊
では出発。山門前を10時12分に通過。滞在時間は約37分。来た道を戻るが、途中では曲がらずに県道194号まで出る。そこで振り返る。
参道入口
参道ここから左、写真の右に折れて、県道を北西に走る。
八坂寺の駐車場を出てからずっと緩い降り坂である。県道は、まず道幅が狭くなる。次に文殊院(別格9番)の前を通過する。ここから県道が直線になった後、ほんの少し左に曲がるところで斜め右の細道に入り、この道がまた左に少し曲がった後の十字路で右折(東行)する。御坂川を渡って、次の丁字路を左折し、小さな橋を渡ると、進行方向の右に墓地、そして左に札始大師堂がある。
札始大師堂/小村大師堂
四国八十八ヶ所番外霊場。撮影時刻は10時24分。手水鉢には、中央に大きく「盥」、その右に「文政十丁亥歳」とある。(文政10年=1827年)大師堂の前面左に説明の掲示物があった。これに拠れば、天長元年(824年)に弘法大師が河の中洲に法力を以て草庵を結んだのが、この大師堂の始まりだという。( 河は、後年、久谷川と重信川に分けられた。) 後に近隣に住む衛門三郎が大師の跡を追って旅に出るが、当地で最初に札を納めたという。
説明書きでは冒頭に「小村大師堂の縁起」、末尾に「四国番外霊場札始大師堂」とあって、どちらが正式な名称なのか不明。しかし扁額( あるいは看板 )には「四国霊場 遍路開祖衛門三郎 札始大師堂」とある。
10時28分に出発。滞在時間は約4分。
次回は、遍路第16日、西林寺(48番)
次回は、西林寺に参ります。