東葛印旛大師巡拝 鷲野谷の善竜寺(14番&71番)

(令和4年8月23日その2)
東葛印旛大師巡拝、岩井の勝矢堂(掛所)&将門神社(元6番)&竜光院(6番&73番)の次は、鷲野谷の善竜寺(14番&71番)に参ります。
竜光院の山門を出て左折(東行)し、突き当りの地点で、斜め右、1時(過ぎ)の方向の、畑の向こうの緑が善竜寺になるのですが、アップダウンを嫌ってここは、左折からすぐ右折にとります。その先で道が左に曲がった後の三叉路で右にターンしてしばらく進み、

鷲野谷善竜寺西三叉路
鷲野谷善竜寺西三叉路
ここの三叉路で、写真の背中側から来て、左折します。因みにこの写真の左端に、善竜寺本堂の屋根がほんの少しだけ写っています。すぐに左手に善竜寺です。
善竜寺前
善竜寺前
この写真ですと左の道から来て、切り返して右の坂が善竜寺の参道です。

善竜寺

真言宗豊山派、善龍寺、柏市鷲野谷1092番地2。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師14番&71番。
下総四郡大師71番。
下総三十三観音24番。
( 千葉県の宗教法人名簿にある、柏市鷲野谷1092番地2って、何処でしょうか。この本堂のある所では無いような。)
参道が右に曲がる所の左に71番標識塔、その先の参道真直ぐに本堂、本堂への参道右に14番大師堂があります。71番大師堂は、本堂が兼ねていると思われます。

71番標識塔

71番標識塔正面右面
71番標識塔正面右面
71番標識塔左面
71番標識塔左面
標識塔の正面「四國七十一番」、右面「文化五戊辰三月吉日准〓谷寺」(〓は彌か?) とあります。(文化5年=1808年)
東葛印旛大師の71番札所は、下総四郡大師の71番を引継いだものです。

境内

善竜寺境内
善竜寺境内

本堂

善竜寺本堂
善竜寺本堂
この日は施餓鬼だそうで、本堂の御仏に対面するように、位牌が並べられていました。本堂の外からは位牌の背面が見えています。
善竜寺本堂前71番新標識塔
善竜寺本堂前71番新標識塔
この後、本堂内にいらした檀家の方に声を掛けられ、本堂に上がらせて頂きました。位牌の前にはおおきな瓜(キュウリ)と茄子もありました。
また、施餓鬼とは関係ないのですが、本堂内には「明治五壬申年三月吉日」の「送り大師順路絵馬」が掲げられていました。(明治5年=1872年) この絵図をよく見ると、以前に高柳の高野堂(39番)の記事で触れた、「東葛印旛大師の古い絵図( 明治の神仏分離以前のもの )によると、この高野堂の南に相当大きな建物が描かれて」いる件、この絵馬でも描かれていて、そこには「大久保氏」と但し書きがあります。東葛印旛大師の成立に関与した高柳の大久保氏の屋敷なので、大きく描かれたのでしょうか。

14番大師堂

14番大師堂
14番大師堂
14番御詠歌額
14番御詠歌額
14番大師像台座
14番大師像台座
台座には「十四番」「鷲宮」とあります。
東葛印旛大師の14番札所は、文政期から明治の神仏分離期までは、鷲野谷の鷲大明神社( 鷲宮 )にありましたが、ちょうど神仏分離期に善竜寺に移したようです。なお、鷲大明神社( 鷲宮 )は現存しません。
なお、下総三十三観音の札所らしいところは、外側には見当たりませんでした。本堂内でご本尊を拝見いたしましたが、一体は不動明王でしたが、もう一体は、どうだったでしょうか。

次回は、鷲野谷の医王寺(20番&88番)

次回は、鷲野谷の医王寺(20番&88番)に参ります。善竜寺の前の道をそのまま左(東)に進みます。