東葛印旛大師巡拝 岩井の勝矢堂(掛所)&将門神社(元6番)&竜光院(6番&73番)

(令和4年8月23日その1)
東葛印旛大師巡拝、本日は、箕輪の如意寺(15番&59番&81番)前からスタートして、まずは岩井の勝矢堂(掛所)、続けて、将門神社(元6番)と竜光院(6番&73番)に参ります。
如意寺の前の道、

箕輪如意寺前の道
箕輪如意寺前の道
これを東、写真の奥に進んで坂を下り、交差点を直進して坂を上ります。左手に墓地( 柏・湖南聖地公苑 )が見えた時に、墓地の南西角から脇道に入るべきか迷いましたが、先に勝矢堂に参るべく、道なり直進します。すると、如意寺から約0.8km、道の右に緑が見えます。
岩井勝矢堂前
岩井勝矢堂前
この右側ではなくて、左側の小さな緑の所に勝矢堂があります。

岩井の勝矢堂

東葛印旛大師掛所。

岩井勝矢堂
岩井勝矢堂
岩井勝矢堂扁額
岩井勝矢堂扁額
扁額の字が読めませんが、勝矢では無いような。
さて、次の将門神社と竜光院は、この勝矢堂のある角を左折(北行)して約0.26km先の三叉路右側になります。
岩井将門神社と竜光院
岩井将門神社と竜光院

岩井の将門神社

将門神社、柏市岩井425番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師文政期から明治期の6番。

岩井将門神社鳥居と岩井青年館
将門神社が三叉路の角(西)側で、参道の上と左が岩井青年館になっています。参道( 岩井青年館 )の先の狭い境内に、小さな社殿があります。なお、写真右側の、将門神社近くにある大師堂は、6番大師堂です。

社殿

岩井将門神社社殿
岩井将門神社社殿

説明板

岩井将門神社説明板
岩井将門神社説明板
社殿の左前にある説明板に拠れば、ここは将門大明神で、ご祭神は、平新皇将門。

手水鉢

岩井将門神社手水鉢
岩井将門神社手水鉢
社殿の右前にある手水鉢には、「文化十一甲戌年十一月吉〓」とあります。(文化11年=1814年)

灯篭

岩井将門神社右灯篭
岩井将門神社右灯篭
手水舎の前にある灯篭には、「寛政十二年庚申九月吉日」とあります。(寛政12年=1800年)

境内

岩井将門神社境内
岩井将門神社境内
東葛印旛大師の6番札所は、文政期から明治の神仏分離期以降も、平親王社( 将門神社 )にありましたが、昭和期には竜光院に移っています。
その竜光院は隣にあり、神社と寺院との明確な境界は、ありません。

竜光院

真言宗豊山派、龍光院、柏市岩井367番3。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師6番&73番。
下総四郡大師73番。
宗教法人名簿上の住所は、柏・湖南聖地公苑になっています。

山門

竜光院山門
竜光院山門
山門の左に旧沼南町設置の標柱、その左に73番標識塔、山門から参道真直ぐに本堂、本堂の左は将門神社社殿で、本堂の左前に6番大師堂、参道途中右に73番大師堂、73番大師堂の左奥に地蔵堂、73番大師堂の右奥に庚申塔などがあります。

旧沼南町設置の標柱と73番標識塔

旧沼南町設置の標柱と73番標識塔正面右面
旧沼南町設置の標柱と73番標識塔正面右面
旧沼南町設置の標柱と73番標識塔左面
旧沼南町設置の標柱と73番標識塔左面
まず、旧沼南町設置の標柱に拠れば、将門神社の本殿は安政6年(1859年)の再建、竜光院地蔵堂には如蔵尼が将門と一族を弔った地蔵尊があるそうです。
73標識塔の正面「四國七十三番」、左面「文化五戊辰十月吉日讃州出釈迦寺写」とあります。

本堂

竜光院本堂
竜光院本堂

73番大師堂

73番大師堂
73番大師堂
73番御詠歌額
73番御詠歌額
73番大師像台座
73番大師像台座
台座には「明治九年子三月吉日」とあります。(明治9年=1876年)
東葛印旛大師の73番札所は、下総四郡大師の73番を引継いだものです。

6番大師堂

6番大師堂
6番大師堂
6番御詠歌額
6番御詠歌額
この6番札所は、前述のように、明治期までは隣の将門神社の所属でした。

庚申塔など

竜光院の庚申塔など
竜光院の庚申塔など

地蔵堂

竜光院地蔵堂
竜光院地蔵堂
竜光院地蔵堂説明板
竜光院地蔵堂説明板
地蔵堂の右前にある説明板に拠れば、如蔵尼は将門の三女、(地蔵堂の?)再建は安永三甲午年とのことです。(安永3年=1774年)

次回は、鷲野谷の善竜寺(14番&71番)

次回は、鷲野谷の善竜寺(14番&71番)に参ります。竜光院の山門を出て左折(東行)します。