(令和4年8月6日その8)
東葛印旛大師巡拝、五條谷の稲荷神社(元57番)&不動堂(36番&57番)の次は、箕輪の石尊社跡(34番)、続けて、如意寺(15番&59番&81番)に参ります。
千葉県道8号線新箕輪バス停付近の交差点を右(南東)に折れて、そこから約0.25kmの交差点、右に箕輪区民館、その向こうに香取神社(元59番)がある交差点を左折します。( なお、この交差点には戻る予定です。) その次の角、右側に石尊社跡の大師堂があります。
石尊社跡大師堂
東葛印旛大師34番。34番札所は、元々は石尊社に設けられていて、その石尊社は、香取神社より南、半丁の所にあったようですが、明治の神仏分離期以降に消滅してしまったようです。札所自体は、昭和初めには、如意寺から1丁50間(=200m)の道端にあったようで、これは、現在地ではなさそうです。
さて、その如意寺は、今進んできた道をそのまま東に約60mほど進んで左になります。
如意寺
真言宗豊山派、如意寺、柏市箕輪62番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師15番&59番&81番。
下総四郡大師81番。
下総三十三観音13番。
石柱門
山号は東福山。門の左に81番標識塔、門から参道真直ぐに本堂、参道の右に、まず59番大師堂、続いて81番大師堂、81番の向いの参道左に15番大師堂があります。
81番標識塔
標識塔の正面「新四國八十一番」、右面「文化五戊辰年箕輪村如意寺」、左面「准讃州白峯寺」とあります。(文化5年=1808年)
59番大師堂
台座には「五十九番箕輪村」とあります。
東葛印旛大師59番札所は、文政期から明治の神仏分離期までは、香取社にあり、その後に如意寺に移ったようです。
81番大師堂
台座には「第八十一番讃州白峯寺」、「明治廿二年三月二十一日」とあるような気がします。(明治22年=1889年)こちらの手水鉢、元から大師堂のためにあったとは思いませんが、これには、右側に「文政十三庚〓〓五月吉日」(〓〓は寅年?、文政13年=1830年)、左側に「箕輪村廣瀬…」とあり、名字が記されています。
東葛印旛大師81番札所は、下総四郡大師81番札所を引き継いだものです。
15番大師堂
台座には「四国八十八ヶ所阿〓国分寺冩第十五番」とあるような気がします。
東葛印旛大師15番札所は、文政期から昭和期まで箕輪の大日堂にありました。文政期の資料では、石尊社から1丁、長覚院から3丁とあり、昭和初期の資料では、箕輪の字道堀にあって、34番札所から7丁( 約0.76km )、旧長覚寺(87番)から5丁40間( 約0.62km )だそうで、今の柏市手賀の杜4丁目付近ではないかと予想します。
本堂
古い六地蔵
本堂の右、墓地への入口に、古い六地蔵があります。
さるすべり
本堂の右横、六地蔵の背後の、さるすべりです。
なお、下総三十三観音の札所らしいところは、見当たりませんでした。
次回は、箕輪の香取神社(元59番)など
次回は、箕輪の香取神社(元59番)に参ります。如意寺から西へ、箕輪区民館前交差点まで戻ります。