東葛印旛大師巡拝 高柳の原庵堂(23番)&高野堂(39番)&香取神社

(令和4年7月21日その2)
東葛印旛大師巡拝、粟野の千寿坊(10番)&佐津間(南佐津間)の宝泉院(41番)の次は、高柳の原庵堂(23番)、続けて、高野堂(39番)、香取神社に参ります。
宝泉院から、西側にある千葉県道8号線に戻って右折(北行)し、県道を北上します。約1.4km先の、高柳駅入口交差点より少し手前の三叉路、

千葉県道8号線高柳駅入口交差点南
千葉県道8号線高柳駅入口交差点南
ここを左の脇道に入り、そこからは大体道なりに約0.55km直進しますと、最後に墓地に突き当たります。
原庵堂墓地前
原庵堂墓地前

原庵堂(墓地)

東葛印旛大師23番。

原庵堂墓地
原庵堂墓地
この墓地の東側道路側に、23番大師堂があります。 (厳密には、隣の福祉施設の敷地内なのかな。)
原庵堂墓地から23番大師堂
原庵堂墓地から23番大師堂

23番大師堂

23番大師堂
23番大師堂
23番札所は、文政期には、高柳村の香取大明神にあったようですが、明治には原ノ寮(原庵堂)に移った、もしくは同村の善竜寺(2番)に置かれたりしたようです。

23番大師堂横の石仏

23番大師堂横の石仏
23番大師堂横の石仏
一番大きな地蔵像の台座には「寛政十二庚申」とあります。(寛政12年=1800年)
それでは、墓地内を引き返して、道路に出てから左(東)に進み、23番大師堂の横を通って、次の高野堂に参ります。そのまま、大津川の低地に出ると、
高柳の風景東側
高柳の風景東側
道路の右、東側、対岸の住宅の前に高野堂があります。因みに、
高柳の風景北側
高柳の風景北側
道路の左、北側の丘の中に高柳の香取神社があり、また、左折して川沿いに進むと福寿院(27番&82番)、その川向こうに善竜寺があります。この道路を直進し、川を越えたら三叉路を右折します。しばらくして、左手の住宅の前に高野堂が現れます。

高野堂

東葛印旛大師39番。
とある住宅の道路側敷地内に、大師堂があります。ここの住宅は、普通の民家なので、大写しはしません。

39番大師堂

39番大師堂
39番大師堂
39番御詠歌額
39番御詠歌額
さて、東葛印旛大師の古い絵図( 明治の神仏分離以前のもの )によると、この高野堂の南に相当大きな建物が描かれていますが、何の建物かは全く見当がつきません。その古い絵図については、次の外部サイトのページ、
sites.google.com
このページの一番下、または、別の外部サイトのページ、
www.kamon.center
このページの最初の方にあります。
それでは、高柳の香取神社にも参りましょう。高野堂前の道を北に戻り、三叉路に戻って右折して坂を上ります。次の県道8号線との交差点を左折して、次の交差点は直進し、県道が左に緩くカーブした後、右手に香取神社が現れます。
高柳香取神社前
高柳香取神社前

高柳の香取神社

単立、香取神社、柏市高柳712番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師文政期の23番候補。
神社の南側・県道側の鳥居から入りますが、社殿は東を向いており、境内東側にも鳥居があります。そちらに移動します。

高柳香取神社境内移動中
高柳香取神社境内移動中

東側鳥居

高柳香取神社東側鳥居
高柳香取神社東側鳥居
ここからですと、鳥居から参道真直ぐに、ひとつ建物を挟んだその先に社殿があります。

社殿

高柳香取神社社殿
高柳香取神社社殿
ここは、文政期の東葛印旛大師23番札所であった可能性がありますが、確証はありませんし、痕跡も見当たりません。

次回は、高柳の福寿院(27番&82番)

次回は、高柳の福寿院(27番&82番)に参ります。南側の鳥居から、県道8号線を横断して西の細い下り坂を進みます。