(令和4年7月18日その10)
東葛印旛大師巡拝、柏の長全寺(1番&60番)の次は、柏の諏訪神社(元4番)に参ります。
長全寺前の道を右(西)に進み、すぐに旧水戸街道との十字路に出ますので、これを右折(北行)します。その次の十字路、この十字路の向こうに見える緑が、諏訪神社の杜です。十字路を直進した次の角を左折します。
柏の諏訪神社
諏訪神社、柏市柏5丁目7番7号。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師文政期の4番。
鳥居
鳥居の先の参道真直ぐに拝殿、参道途中左に社殿改築十周年記念碑、社殿の左手から裏手にかけて百庚申があります。
拝殿
社殿改築十周年記念碑
これに拠れば、ご祭神は建御名方命、創建は不明、この地の前に一里塚があったらしい、明治40年9月に山王、香取、天神、八幡、雷神、琴平の6社を合祀、との事です。(明治40年=1907年)
金毘羅大権現の石塔
社殿改築十周年記念碑の左側にあるのを発見しました。石塔の正面「准四國讃州金毘羅大權現」、右面「文化四年丁卯十一月吉日」、左面「柏両組講中」とあります。(文化4年=1807年)
これ、かなり気になります。「准四國」という言葉が付いている事は、准四国八十八ヶ所を構成する(番外)札所として用意されたものかもしれません。文化4年という時期は、下総四郡大師が開創した時期なのです。なので、この石塔は下総四郡大師の番外札所の意図を持って作成された、という妄想が捗ります。
さて、東葛印旛大師の札所についてですが、文政期には(、おそらくは明治の神仏分離期までは、)4番札所が柏村の諏訪社にありました。しかし、明治になると、呼塚( 大堀川南側の旧水戸街道付近 )に移転し、現在は大堀川北柏橋南側に置かれています。現在、当地には4番札所の痕跡は見当たりません。
百庚申
それでは、次の呼塚常夜燈大師堂(現4番)に参ります。旧水戸街道に戻って左折(北行)し、そのまま、国道16号線も横断します。その先、JR常磐線を跨線するところ、跨線せず右側の道に入り、踏切を使っていた時代の旧水戸街道に進みますが、すぐに右折して旧水戸街道と別れます。しかし常磐線の南側を進んで次第に線路に沿うようになり、ここの一時停止の十字路を直進します。その先、道が右に曲がり、北柏橋に近づくころ、右手に呼塚常夜燈が現れます。
次回は、柏(柏下)の呼塚常夜燈大師堂(4番)
次回は、柏(柏下)の呼塚常夜燈大師堂(4番)に参ります。