東葛印旛大師巡拝 柏(柏下)の呼塚常夜燈大師堂(4番)

(令和4年7月18日その11)
東葛印旛大師巡拝、柏の諏訪神社(元4番)の次は、柏(柏下)の呼塚常夜燈大師堂(4番)に参ります。
既に呼塚常夜燈のあるエリアに来ています。
このエリアへは次のようにしても到達できます : JR北柏駅から南西に走る通り(千葉県道268号線)を、そのまま直進して大堀川を北柏橋で渡り、右手の小径に入って左手が呼塚常夜燈。

呼塚常夜燈のある辺り
呼塚常夜燈のある辺り

呼塚常夜燈

東葛印旛大師4番(の大師堂がある)。
小径から入ると、その右に説明板、説明板の左奥に4番大師堂、大師堂の奥に呼塚常夜燈があり、大師堂の左に呼塚大師堂改築移転記念碑、説明板の左に4番標識塔があります。

説明板

呼塚常夜燈説明板
呼塚常夜燈説明板
これに拠れば、常夜燈は慶応元年(1865年)に、当時の水戸街道が大堀川を越える地点の船着場に建てられたそうです。

4番標識塔

4番標識塔正面
4番標識塔正面
4番標識塔右面
4番標識塔右面
4番標識塔正面左面下部
4番標識塔正面左面下部
標識塔、苔か何かでほとんど読めません。一応、正面の下部「第四番」、右面「文政七年甲申歳」(年と歳のダブりは変?)、左面「柏村下組講」でしょうか。(文政7年=1824年) なお、Google mapの写真からは、正面の上部「准四國八十八箇所阿州大日寺冩」と読めるものがありました。

4番大師堂

4番大師堂
4番大師堂
4番御詠歌額
4番御詠歌額
4番番号札
4番番号札

呼塚大師堂改築移転記念碑

呼塚大師堂改築移転記念碑正面
呼塚大師堂改築移転記念碑正面
呼塚大師堂改築移転記念碑背面
呼塚大師堂改築移転記念碑背面
これに拠れば、大師堂を旧水戸街道から現在地に移転した、竣工は昭和63年9月。(昭和63年=1988年)
なお、4番札所は、文政期には(、おそらくは明治の神仏分離期までは、)柏村の諏訪社にあり、明治期には呼塚に移転していました。

呼塚常夜燈

呼塚常夜燈
呼塚常夜燈
それでは、柏村の羽黒山社(元60番)があったらしい地点に向かいます。呼塚常夜燈から右(南)へ、大堀川沿いのサイクリングロードを進み、右手に柏ふるさと公園を確認したらその東端まで進み、右折して公園の東端を南へ進みます。そのまま、低地沿いに進んで、
柏ふるさと公園から低地を南に進んだ先
柏ふるさと公園から低地を南に進んだ先
最後に国道16号線に出そうになるので、その直前で左折します。その先でも、国道16号線戸張入口交差点に出そうになるので、
国道16号線戸張入口交差点近く
国道16号線戸張入口交差点近く
左折して戸張方向に向かいます。

柏村の羽黒山社(元60番)の跡近く

そのすぐ先の阪東バス東台バス停付近、

阪東バス東台バス停付近
阪東バス東台バス停付近
このバス停よりちょっとだけ向こうの左側に、明治の迅速測図によれば、羽黒祠があったようです。この近くには、羽黒台公園や、羽黒前公園があります。
柏市羽黒前公園
柏市羽黒前公園
これ以上は、わかりません。
なお、60番札所は、文政期には(、おそらくは明治の神仏分離期までは、)羽黒山社にあり、明治期には柏の長全寺(1番&60番)に移転しました。また、羽黒山社自体も明治中期に、現在の柏の柏神社の地に移転し、移転先の八坂神社(元63番)を合祀しています。

次回は、戸張の正光寺(19番&42番)

次回は、戸張の正光寺(19番&42番)に参ります。阪東バス東台バス停や羽黒前公園のある通りを東に進みます。