東葛印旛大師巡拝 金ヶ作の祖光院(44番)&熊野神社(56番)

(令和4年7月18日その4)
東葛印旛大師巡拝、五香の善光寺(68番)の次は、金ヶ作の祖光院(44番)、続けて、熊野神社(56番)に参ります。
新京成線常盤平駅の東側にある、千葉県道57号線が東から来て北に折れる十字路、そこから北に約0.18kmの県道左(西)側が、 祖光院の入口になります。

祖光院前
祖光院前

祖光院

曹洞宗、祖光院、松戸市金ケ作352番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師44番。

祖光院入口
祖光院入口
入口から参道真直ぐに石柱門、その先に本堂、本堂の左前に大師堂があります。また、門の右前の庚申塔があります。

弘化4年の庚申塔

祖光院参道途中の庚申塔
祖光院参道途中の庚申塔
この庚申塔2塔とも「弘化四未年」(1847年)と刻まれています。

石柱門

祖光院石柱門
祖光院石柱門
山号は金成山。

本堂

祖光院本堂
祖光院本堂

44番大師堂

祖光院大師堂と不動堂
祖光院大師堂と不動堂
右(西側、本堂寄り)が44番大師堂、左が不動堂になります。
44番番号札と御詠歌額
44番番号札と御詠歌額
この44番札所は、文政期には高柳村(現 柏市高柳)の天神宮にあったようですが、明治の神仏分離期以前には祖光庵(祖光院)に移ったようです。
それでは、熊野神社に参ります。祖光院の本堂左から、墓地の北側を西に進み、突き当りを左折、次の突き当りを右折すると、割とすぐに右手に熊野神社が現れます。
金ヶ作熊野神社前
金ヶ作熊野神社前

金ヶ作の熊野神社

熊野神社、松戸市金ケ作362番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師56番。

金ヶ作熊野神社鳥居
金ヶ作熊野神社鳥居
鳥居から参道真直ぐに拝殿、拝殿の左に境内社を集めた一角があり、その中には、旧社殿らしき建物や大師堂があり、また、参道途中の左側には、金ヶ作熊野神社由緒の碑、鳥居の左には古い庚申塔もあります。

庚申塔

金ヶ作熊野神社鳥居横庚申塔
金ヶ作熊野神社鳥居横庚申塔
この庚申塔、正面の青面金剛像は剥落し、右面には「天保八丁酉年」(1837年)とあります。

拝殿

金ヶ作熊野神社拝殿
金ヶ作熊野神社拝殿

境内社の一角

金ヶ作熊野神社境内社等
金ヶ作熊野神社境内社等
境内社が集められた一角のうち、北側には、拝殿と平行に、それなりに大きな建物があります。これは旧の社殿かもしれません。また、この一角の南西端、いわば一番下座に56番大師堂があります。

旧社殿?

金ヶ作熊野神社旧社殿?
金ヶ作熊野神社旧社殿?
金ヶ作熊野神社旧社殿?扁額
金ヶ作熊野神社旧社殿?扁額

56番大師堂

56番大師堂
56番大師堂
56番番号札
56番番号札
この56番札所は、文政期には手賀村(現 柏市手賀)の(兵主八幡神社の近くの)庚申堂に、明治16年(1883年)には日暮村(現 松戸市日暮)の徳蔵院に、その後は、金ヶ作の四宝関( って何処? )や、日暮の八坂神社と転々としたようです。

金ヶ作熊野神社由緒の碑

金ヶ作熊野神社由緒の碑
金ヶ作熊野神社由緒の碑
これに拠れば、まず金ヶ作は、天明2年(1782年)に、川越藩の郷士石川彦次右ヱ門が、新田開発の元締として、9家を連れて入植した。翌年の浅間山噴火による損害を受けて、紀州和歌山の熊野本宮より分祀したのがここの熊野神社であるそうです。

次回は、金ヶ作佐野の八坂神社(22番)

次回は、金ヶ作佐野の八坂神社(22番)に参ります。熊野神社前の道を右(西)に進みます。