東葛印旛大師巡拝 五香の善光寺(68番)、序に五香の野馬除土手

(令和4年7月18日その3)
東葛印旛大師巡拝、六実(六高台)の高靇神社(32番)の次は、五香の善光寺(68番)に参ります。
高靇神社前の千葉県道281号線(鮮魚街道)を右(西)に進みます。約1.3kmで県道57号線との五香十字路交差点に至りますが、交差点の南西角が善光寺になります。

五香十字路と善光寺
五香十字路と善光寺

善光寺

浄土宗、善光寺、松戸市五香一丁目3番地の2。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師68番。
下総四郡大師68番。(注意事項後述)

善光寺入口
善光寺入口
山号は霊鷲山。入口から参道真直ぐに本堂、途中左側に大師堂があります。

本堂

善光寺本堂
善光寺本堂
善光寺本堂前のレリーフ
善光寺本堂前のレリーフ
こちらの説明板には、寺の開白者の静譽大康上人が明治17年(1884年)に遷化したとあります。その後、善光寺が正式に開創したのは、次の外部サイトに拠れば、明治24年です。
www.jodo-chiba.jp

大師堂

68番大師堂
68番大師堂
68番御詠歌額その1
68番御詠歌額その1
68番御詠歌額その2
68番御詠歌額その2
68番御詠歌額その3
68番御詠歌額その3
さて、高靇神社の石碑に拠れば、善光寺の68番札所は、藤ヶ谷の八幡社から移転してきたものです。時期は不明ですが、五香の開拓自体が明治2年開始であり、明治16年には五香六実村の字新林に68番札所があったという資料もありますので、その間でしょうか。

下総四郡大師68番について

下総四郡大師の68番札所ですが、もともとは増尾の八幡宮( 現在の柏市増尾の広幡八幡宮? )にあった様です。そして、下総四郡大師を明治期に再興した梶原石五郎氏は、増尾の少林寺(東葛印旛大師43番)もしくは増尾の八幡宮を、68番に指定しました。普通なら、こういう理解になります。
しかし、筆者は、下総四郡大師から吉橋組大師と東葛印旛大師への移行の経緯や、生きている信仰の継続性を鑑みて、吉橋組大師の1番から22番、25番、26番、東葛印旛大師の66番から88番の各札所を、自動的に下総四郡大師の同番号の札所としています。この論理で行くと、下総四郡大師の68番は善光寺になります。
なお、本家四国八十八ヶ所では、明治の神仏分離までは、68番は琴弾八幡宮でしたから、下総四郡大師や東葛印旛大師の68番が、増尾の八幡宮や藤ヶ谷の八幡社であることは、何の不思議もありません。不思議なのは、増尾から藤ヶ谷に68番が移行した事の方ですね。
それでは、次の札所、金ヶ作の祖光院(44番)へ移動します。善光寺を出て左(北)の五香十字路交差点から、県道57号線を北に進み、あ、ちょっと寄り道します。

五香十字路から真北に
五香十字路から真北に
五香十字路の北側、県道57号線が緩く左にカーブするところ、真直ぐ北に進む道があり、その右側に緑があります。そちらに進みます。

五香の野馬除土手

五香の野馬除土手南端
五香の野馬除土手南端
野馬除土手説明柱
野馬除土手説明柱
これは、小金牧の外側に設けられた、野馬除土手です。
五香の野馬除土手北側
五香の野馬除土手北側
それでは、県道57号線に戻って北に進みます。金ケ作交差点では、
千葉県道57号線金ケ作交差点
千葉県道57号線金ケ作交差点
県道に沿って左折します。しばらく進んで、
千葉県道57号線無名の交差点
千葉県道57号線無名の交差点
この交差点を右折します。その先、左手に林があって、林の中に祖光院があります。

次回は、金ヶ作の祖光院(44番)

次回は、その金ヶ作の祖光院(44番)に参ります。