東葛印旛大師巡拝 六実(六高台)の高靇神社(32番)

(令和4年7月18日その2)
東葛印旛大師巡拝、初富の一文字大師堂(掛所)の次は、六実(六高台)の高靇神社(32番)に参ります。
一文字大師堂前の千葉県道57号線を右(南東)方向、踏切とは反対側に少しだけ移動して、左折(北東行)します。道が右に曲がったらすぐに左折(北東行)し、その先の突き当りで左折します。少しだけ右に曲がって松戸市に入った後、突き当りを右折後すぐ左折(北行)します。この道は(左側)五香4丁目と(右側)五香5丁目の境界になります。そして、県道281号線(鮮魚街道)に出たところ、

高靇神社前
高靇神社前
右側の県道、向いに高靇神社があります。

六実の高靇神社(たかおじんじゃ)

高寵神社、松戸市六高台1丁目15番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師32番。

六実高靇神社鳥居
六実高靇神社鳥居
鳥居から参道真直ぐに拝殿、拝殿の右前に32番大師堂、境内の県道側に石碑等があります。

拝殿

六実高靇神社拝殿
六実高靇神社拝殿

32番大師堂

32番大師堂
32番大師堂
32番御詠歌額
32番御詠歌額
32番番号札
32番番号札

32番標識塔

32番標識塔
32番標識塔
標識塔の正面「新四國八十八ヶ所第三十二番」とあります。

東葛印旛大師講の石碑と香実会所跡の石碑

東葛印旛大師講の石碑と香実会所跡の石碑
東葛印旛大師講の石碑と香実会所跡の石碑
東葛印旛大師講の石碑背面上部
東葛印旛大師講の石碑背面上部
これには、下総四郡大師の創設は文化4年(1807年)、東葛印旛大師の創立は文政5年(1822年)と明記されています。
また、ここの32番札所は、大正3年(1914年)3月に、鷲野谷村の妙見社より移転。五香の善光寺にある68番札所は、藤ヶ谷村の八幡社より移転(.時期は記さず.)とあります。
鷲野谷村の妙見社とは、柏市(旧沼南町)鷲野谷の星神社の事です。一方、藤ヶ谷村の八幡社は、同地区、柏市(旧沼南町)藤ヶ谷の香取神社に合祀されたようです。
香実会所跡の石碑背面
香実会所跡の石碑背面
これ(と正面の記述)に拠れば、ここは(元小金牧の)五香六実の開墾会社の社員詰所、香実会所の跡である。会社は明治5年(1872年)に事業の失敗により解散し、会所も機能を停止した。「会所についての開拓民の印象は、必らずしも良いものではなかった」と婉曲に表記されています。

開墾百年記念碑

五香六実開墾百年記念碑
五香六実開墾百年記念碑
これに拠れば、明治2年11月から五香六実への移住民の入植が始まった。「当時は交通の便悪く、加えて土地は痩せ水利も満足でなく、通常生活は極めて困難」。「その後次々と襲い来る旱害や颱風禍」。その中でも、開拓を行い、「高靇神社を勧請、善光寺を建立」、「分教場を開校」した、とあります。

次回は、五香の善光寺(68番)

次回は、上述の石碑にも記載の、五香の善光寺(68番)に参ります。県道281号線(鮮魚街道)を右折(西行)します。