下総四郡大師巡拝 万満寺(51番)

(令和4年4月22日その7)
松戸市内、旧の馬橋村とその近辺の大師堂廻り、中根の妙見神社&馬橋の中根寺(下総四郡大師56番)の次は、馬橋の万満寺(下総四郡大師51番)に参ります。
中根寺を出て西に進み、江戸時代の水戸街道に出て右折(北行)します。そのまま直進すると万満寺です。

万満寺

臨済宗大徳寺派、萬満寺、松戸市馬橋2547番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
下総四郡大師51番。

万満寺前
万満寺前

えと、今まで紹介してきた寺院では表門を山門と呼んで差し支え無かったのですが、万満寺では参道上に複数の立派な門があるので、どうしましょうか。

万満寺山門
万満寺山門
参道上の第一の門です。山号は法王山。山号の額があるので、これが山門でしょうか。しかし、法の旧字体は初めて知りました。
万満寺仁王門
万満寺仁王門
第二の門です。国の重要文化財(旧国宝)である木造金剛力士立像があるので、仁王門と呼んでも良いですよね。
www.pref.chiba.lg.jp

松戸市教育委員会による説明板

万満寺説明板
万満寺説明板
第一の門を入って左にあった(と思う)説明板です。これによれば、まず建長8年(1256年)に千葉介頼胤が、良観房忍性を招いて真言宗大日寺を開き、その後、康暦三年(一三七九)(原文ママ)に千葉介満胤が、臨済宗万満寺を開いたそうです。なお、大日寺は千葉に移転したようです。

境内

仁王門の内側です。

万満寺境内
万満寺境内
仁王門から参道真直ぐに本堂、門の左に大師堂、参道途中右に義真弁才天(小僧弁天)のお堂等があります。

本堂

万満寺本堂
万満寺本堂

大師堂

万満寺大師堂
万満寺大師堂

2本の標識塔

大師堂の左右に小さな標識塔が1本ずつあります。

万満寺大師堂右の標識塔
万満寺大師堂右の標識塔
右の標識塔正面には、中央「新四國八十八」、その左右「豫州石手寺第五十二番」とあります。なお、本家四国八十八ヶ所の石手寺は51番札所です。
万満寺大師堂左の標識塔正面
万満寺大師堂左の標識塔正面
万満寺大師堂左の標識塔左面背面
万満寺大師堂左の標識塔左面背面
左の標識塔は、左面「嘉永七寅年」、正面は古いためか読み難いのですが、「豫州」、「新四國」、「第五十一番」があるように見えます。(嘉永7年=1854年)

義真弁才天(小僧弁天)

義真弁才天堂
義真弁才天堂
義真弁才天説明板
義真弁才天説明板
昔、万満寺に義真というたいそう利発な小僧がいましたが、あまりに悪戯が過ぎたため、寺を追い出され、簀巻にされて逆川に流されました。ところが、そこから白蛇が出てきて何処かへ泳ぎ去ったそうな。白蛇は弁才天のお使いとされ、義真を弁才天の化身として祀ることとなった。
そういえば、逆川の下流、古ヶ崎に小僧弁天なる神社がありました。

次回は、馬橋の王子神社と三ヶ月の三日月神社

次回は、馬橋の王子神社に参り、その後は江戸川八十八ヶ所初めとして、三ヶ月の三日月神社に参ります。王子神社は、万満寺の大師堂の真後ろですが、壁があるので、参道を戻ります。