東葛印旛大師巡拝 大島田の安房栖神社(元49番)&泉蔵寺(49番&74番)

(令和4年8月6日その6)
東葛印旛大師巡拝、名戸ヶ谷の香取神社(元58番)&池田庵(58番)の次は、大島田の安房栖神社(元49番)、続けて、泉蔵寺(49番&74番)に参ります。
千葉県道282号線で大津川を西から東に渡り、そのまま坂を上って、国道16号線との大井交差点を右折して南東方向に進みます。大井交差点から約0.9km、大津ヶ丘交差点と大島田交差点の間で、左側に安房栖神社の背中が見えます。

国道16号線大島田安房栖神社西
国道16号線大島田安房栖神社西

大島田の安房栖神社

安房栖神社、柏市大島田428番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師文政期の49番。

大島田安房栖神社前
大島田安房栖神社看前
安房栖の読みは「あわす」。看板の先を左に入り、回頭します。

鳥居

大島田安房栖神社鳥居
大島田安房栖神社鳥居
鳥居から参道真直ぐに拝殿、拝殿の左前に安房栖神社御社殿改築事業之碑、社殿の右後方に境内社などがあります。

安房栖神社御社殿改築事業之碑

安房栖神社御社殿改築事業之碑
安房栖神社御社殿改築事業之碑
これに拠れば、創立は元和6年(1620年)、ご祭神は少名彦名命。このご祭神と社名は、松戸市新作の安房須神社に同じで、創建の時期も近いですね。

拝殿

大島田安房栖神社拝殿
大島田安房栖神社拝殿

境内社など

大島田安房栖神社境内社など
大島田安房栖神社境内社など
この中には古い石仏もあります。

古い手水鉢

大島田安房栖神社手水鉢
大島田安房栖神社手水鉢
大島田安房栖神社手水鉢側面
大島田安房栖神社手水鉢側面
手水鉢の側面に「文政十二己丑年九月吉日」とあります。(文政12年=1829年)
さて、東葛印旛大師の49番札所は、文政期から明治の神仏分離期までは、ここ安房栖社にありましたが、その後、隣接する泉蔵寺に移りました。
それでは、その泉蔵寺に参ります。境内から鳥居の向こう側に泉蔵寺本堂の背中があります。
大島田安房栖神社鳥居からの泉蔵寺本堂
大島田安房栖神社鳥居からの泉蔵寺本堂
鳥居を出て左から、寺の正面へ回り込みます。

泉蔵寺

真言宗豊山派、泉蔵寺、柏市大島田427番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師49番&74番。
下総四郡大師74番。

泉蔵寺前
泉蔵寺前
山号は普門山。入口の右に古い庚申塔、左に74番標識塔と49番標識塔、入口から参道真直ぐに本堂、本堂の左前に修行大師像、参道の左に大師堂があります。

入口から本堂

泉蔵寺入口から本堂
泉蔵寺入口から本堂

古い庚申塔

泉蔵寺の古い庚申塔
泉蔵寺の古い庚申塔
この古い庚申塔は、屋根付のお堂に置かれており、「宝永五戊子十月吉日」とあります。(宝永5年=1708年)

74番標識塔と49番標識塔

右( 入口に近い方 )の背の高い方が74番、左の低い方が49番です。

74番標識塔正面・49番標識塔正面
74番標識塔正面・49番標識塔正面
74番標識塔背面・49番標識塔背面
74番標識塔背面・49番標識塔背面

49番標識塔右面上部49番標識塔右面下部
49番標識塔右面

74番標識塔の正面「新四國七十四番」、背面「文化五辰十一月泉倉寺」、49番標識塔の正面上部左右「新四國伊豫國」、正面中央「四拾九番淨土寺冩」、右面「文政十一戊子二月吉日 十九夜講中 大嶋田村」とあります。(文化5年=1808年、文政11年=1828年)

掲示板

泉蔵寺掲示板
泉蔵寺掲示板
院号は遍照院。

修行大師像

泉蔵寺修行大師像
泉蔵寺修行大師像

大師堂

泉蔵寺大師堂
泉蔵寺大師堂
74番番号札
74番番号札
74番御詠歌額
74番御詠歌額
49番御詠歌額
49番御詠歌額
49番番号札
49番番号札
大師堂の右半分が74番、左半分が49番になっているようです。
東葛印旛大師の74番札所は、下総四郡大師の74番を引き継いだものです。一方で、前述したように、49番札所は、明治期に隣の安房栖神社から移ったものです。

次回は、五條谷の稲荷神社(元57番)&不動堂(36番&57番)

次回は、五條谷の稲荷神社(元57番)と不動堂(36番&57番)に参ります。泉蔵寺の入口を出て左(北)に進み、千葉県道8号線に合流しても北に進みます。