(令和6年3月27日その3)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、八千代市保品の東栄寺(54番)&保品の大師堂(番外)の次は、佐倉市先崎(まっさき)の雲祥寺(55番)に参ります。先崎地区は、古の時代には、香取海に浮かぶ小半島だったと想像される地形・地名です。
保品の番外大師堂のある墓地を南に、千葉県道263号八千代宗像線の旧道に出て右、すぐの十字路を左で、上の写真の中央奥に進みます。左手に八千代市少年自然の家への分岐を見送った直後の二股三叉路、斜め左に入りました。この道、途中まではともかく、最後は頼りなく坂を下ります。その坂下、右に見えるのは、保品から上高野工業団地への道です。その道の左に見える未舗装道へ進んで、すぐのところ、左、左と道を選び、田圃の南側の道を進みます。この三叉路は右、佐倉市に入ってからの二股三叉路、ここはちょっと考えてから右へ、やや突き当り気味の三叉路、左に入っても途中で進入禁止なので、右に折れます。すぐの突き当り丁字路、ここを左で、後は道なりに東へ進んで、坂を下ると、右にちらと仏像や空きスペースが見えますが、それが目的地です。
先崎の雲祥寺
臨済宗妙心寺派、雲祥寺、佐倉市先崎966番地の2。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所55番。
入口入って左に先崎会館、入口から真っ直ぐ進むと左に墓地、正面から右は広場になっています。入口入って少し進んでから右、右で雲祥寺、雲祥寺の左に55番大師堂、大師堂の右に石塔石仏群です。
入口
先崎会館
広場から
入口から広場に進んで、反転しました。反転したので、右に先崎会館、左に雲祥寺です。
雲祥寺
建物
これが本堂でしょうか。
境内西側
55番大師堂
石塔石仏群
この中から、先ずは左から3番目の石仏、これは、右「十九夜塔」、中央やや左「子安」、左「文政七申三月吉日」。(文政7年=1824年)
左から5番目の石仏、右「奉造立十九夜」、左「宝暦十庚辰十月〓」「先〓村」。(宝暦10年=1760年)
中間飛ばして、右端の石仏とその左の石塔は、石塔の方は、正面「奉讀誦大乘妙典一千〓 金剛般若經〓葉…」、右面「寳暦十一辛巳年三月…」、石仏は正面左「文化元子年十一月吉日」。(文化元年=1804年)
それでは、次へ参りますが、その前に。雲祥寺・先崎会館を出て右(東)へ、ほんとにすぐのところ、右に佐倉市消防団第2分団13部の倉庫があって、左に長屋門がありました。
先崎の長屋門
佐倉市の登録有形文化財だそうです。但し、門の奥は人の住まう民家です。
次回は、先崎地蔵尊&下高野の福蔵院(56番)
次回は、先崎地蔵尊を経由して、下高野の福蔵院に参ります。このまま東へ進んだのち右にカーブして、先崎「半島」の南側を西へ進みます。