2023年遍路第17日その2、延命寺(54番)の駐車場から仁王門横を通過したところから。
遍路第17日(平坦ステージ)
日付 : 2023年11月2日
延命寺の駐車場を出て南へ、仁王門の横を通過する。次のちょっとごちゃごちゃした交差点では、左に切り返してすぐ右へ入って東南東へ、その先の突き当たり丁字路は右折も、次で水路南側を左折する。
そのまま道なり水路なりに進んで、西瀬戸自動車道の高架下を抜け、水路の北側の道に移ると、愛媛県道38号今治波方港線に合流する。
すぐに県道右水路の右の道に移るが、水路と県道が交差したところで、県道左水路の左の道に移行する。しばらくして愛媛県立今治北高校の所で右折、県道との十字路交差点を横断して左折、県道右側歩道を北東方向に進む。
JR予讃線の高架下を通ってその先、国道317号との十字路交差点を右折すると、鳥居が見える。別宮大山祇神社の鳥居である。
別宮大山祇神社
別宮大山祇神社、今治市別宮町3-6-1。(愛媛県神社庁Webより)
四国八十八ヶ所元55番。
ehime-jinjacho.jp
ja.wikipedia.org
別宮大山祇神社の読みは「べっくおおやまずみじんじゃ」(愛媛県神社庁Webより)。
国道南西側に大きな鳥居、そこから参道入って、すぐ右に奈良原神社、続いて大クスノキ、参道真っ直ぐに進んで拝殿、拝殿の右隣に阿奈婆神社、さらに右に清高稲荷神社、荒神社、荒神社の左前に理海尼の石灯篭がある。稲荷神社の参道はかなり長い。
鳥居
いちど国道の反対側に移って、鳥居を撮影。そうしないと写真に収まらない。あって良かった横断歩道。鳥居の神額は「日本總鎮守 三島地御前」。
撮影時刻は10時17分。そして境内に入って下車、手押しで進む。
奈良原神社
鳥居の神額は「奈良原神社」。
由緒説明板
これに拠れば、ご祭神は大山積大神(おおやまづみのおおかみ)、伊予国風土記によると別名、和多志大神(わたしのおおかみ)。和銅5年(712年)に越智玉澄が、大三島の大山祇神社(伊予国一の宮)の地御前として勧請。
境内中程左に駐車場があり、そこに自転車を置いて、社務所へ行き、御朱印の有無を確認する。有人だったので、流れ的に先に御朱印を頂く形になった。
清高稲荷神社
この手水鉢には正面( 写真の左 )「寛政十戊歳 午十二月吉日」、右面には「明治」の刻みがある。(寛政10戊午年=1798年)神額は「清高稲荷神社」。
荒神社
鳥居の柱、右は「奉寄進 氏子中」、左は「文政六癸未歳九月吉祥日」とある。(文政6年=1823年)これに拠れば、荒神社の祭神は、三宝荒神(さんぼうこうじん)と大穴牟遅神(おおなむちのかみ)。社殿は寛政6年(1794年)に摩利支天宮として建立。
理海尼の石灯篭
今治市指定の有形文化財。[今治市Web:今治地域の文化財]正面「永代常夜燈」、左面「願主理海尼」、右面「天明三…」とある。(天明3年=1783年)
阿奈婆神社
阿奈婆神社の右前に説明書きがあった。これに拠れば、ご祭神は磐長姫大神(いわながひめのおおかみ)。大三島の阿奈婆神社より勧請。
拝殿
愛媛県指定の有形文化財。この説明板に拠れば、拝殿は天正3年(1575年)に来島通総( 来島通総 - Wikipedia )が再建、昭和12年(1937年)新社殿建立により(旧)拝殿は絵馬堂として移築されたが、昭和20年戦災で新社殿焼失につき、絵馬堂を拝殿として再移築。
拝殿前常夜灯
拝殿の前にある左右の常夜灯。左の常夜灯の右面( 参道側 )は「寛政十一己未歳」、右の常夜灯の左面は「十二月吉日」。
境内
大クスノキ
今治市指定の天然記念物。
本殿
神社の左(南東側)に、南光坊(55番)が隣接しており、そのまま自転車ごと移動する。10時39分。神社の滞在時間は約22分。
次回は、遍路第17日、南光坊(55番)
次回は、隣の南光坊に参拝します。