印西大師・印西地区の大師堂巡拝 寄り道 小林の巴塚&南光防帰国稲荷神社

(令和5年4月21日その6)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、小林の鳥見神社&小林の馬場の堂(37番)の次は、小林の光明寺(81番)に参る途中、巴塚と南光防帰国稲荷神社に寄り道します。
馬場の堂の前の道路に出て右(南)に進みます。約0.2kmで、右に「巴塚」との案内があるので、寄ってみます。

印西市小林の巴塚入口
印西市小林の巴塚入口

巴塚

印西市小林の巴塚横
印西市小林の巴塚横
印西市小林の巴塚
印西市小林の巴塚
特に説明は無いのです。
道に戻って南へ進むと、約0.1kmで左手に庚申塔群がありました。

巴塚近くの庚申塔群

印西市小林巴塚近くの庚申塔群
印西市小林巴塚近くの庚申塔群
1番右の庚申塔正面の右上「奉造立庚申村中安全」、右下「小林村」、左上「享保七壬寅天〓月七日」(〓は八?)とあります。右から2番目は正面の中央に大きく種字に「庚申」、その左右「文化七庚午年 十〓月吉祥日」(〓は一?)。3番目は正面の中央「青面金剛尊」、その左右「寛延三午天 十月吉日」。(享保7年=1722年、文化7年=1810年、寛延3年=1750年)
さらに約0.1km強の三叉路を、
馬場の堂から光明寺への道その1
馬場の堂から光明寺への道その1
左折します。
この先、光明寺に行くには、坂を下って、今いる場所から見て光明寺の反対側に回って、折り返して坂を上るのですが、それはしんどいので、地理院地図にもある道を行ってみます。先の三叉路左折から約0.15kmの地点で、
馬場の堂から光明寺への道その2
馬場の堂から光明寺への道その2
右の道に入ってみます。急斜面をジグザグに登って、平坦部に出ました。
馬場の堂から光明寺への道その3
馬場の堂から光明寺への道その3
ここから、写真の右端を進むと、NTTドコモの携帯電話基地局に至ります。
馬場の堂から光明寺への道その4
馬場の堂から光明寺への道その4
この写真の左から来ています。この基地局までは、光明寺境内を経由して車が出入りできるはずです。来た道からは左折、この写真の中央奥へ進みます。
すると、赤い幟の並ぶお稲荷さんの前に出ます。寄り道します。
南光防帰国稲荷神社前
南光防帰国稲荷神社前

南光防帰国稲荷神社

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。

南光防帰国稲荷神社
南光防帰国稲荷神社
小さな神社です。社殿の壁に「稲荷神社と巴伝承」と題した掲示物があります。
南光防帰国稲荷神社前社殿
南光防帰国稲荷神社前社殿
稲荷神社と巴伝承
稲荷神社と巴伝承
この掲示物に拠れば、木曽(源)義仲の愛妻巴御前は、和田合戦の後、ここ小林の地に隠悽し、義仲が信仰していた稲荷神を祀った。近くには御前の墓「巴塚」がある。小林に逃れたのは、巴(と和田義盛)の子の朝比奈義秀が小林城を築いたからか。
稲荷社は、江戸時代初めまでは、旭将軍に因んでか、朝日稲荷と呼ばれていたが、何時からか、南光防帰国稲荷と呼ばれるようになった。
天正元年(1573年)創建の光明寺は、山号を稲荷山、院号を普賢院という。
これで、先に見た巴塚のいわれもわかりました。
さて、社殿から道路に戻って左に行くと、すぐに光明寺の裏手、墓地側に出ます。なお、稲荷神社と光明寺の間に、道路を通す計画があるようです。

次回は、小林の光明寺(81番)

次回は、小林の光明寺(81番)に参ります。