江戸川八十八ヶ所巡拝 二ッ木の光明寺(79番)

(令和4年4月30日その2)
江戸川八十八ヶ所巡拝、八ヶ崎の金谷寺(文政期の73番)&二ッ木の蘇羽鷹神社(81番)の次は、二ッ木の光明寺(79番、文政期・明治期の24番)に参ります。
蘇羽鷹神社前の国道6号線を左(北東)に進みます。進行方向左に見える台地の緑、

国道6号線から二ッ木・幸谷を望む
国道6号線から二ッ木・幸谷を望む
このうち、右側の緑の向こうに光明寺があります。また、左側の緑の中に福昌寺(下総四郡大師45番、江戸川八十八ヶ所33番&45番)があります。
そのまま国道6号線を進み、次の小金消防署入口交差点の手前で、
国道6号線小金消防署入口交差点手前
国道6号線小金消防署入口交差点手前
歩道から左に切り返して坂を上ります。そこから道なりに左の谷に沿う形で進み、藪から畑に出るところ、右手に光明寺です。
光明寺前
光明寺前

光明寺

真言宗豊山派、光明寺、松戸市二ツ木30番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
江戸川八十八ヶ所79番。
江戸川八十八ヶ所文政期・明治期の24番。

光明寺前入口
光明寺入口
山号は龍鷹山。
門柱の手前左に、24番標識塔。参道を進んで真直ぐに本堂、本堂の右前に大師堂があります。

24番標識塔

24番標識塔正面左面
24番標識塔正面左面
24番標識塔右面
24番標識塔右面
標識塔の正面「四國二十四番八拾八ヶ所土州東三寺写」、左面「文政十〓己丑六月吉日建之」、右面「蘇羽鷹鎮守氏子中」とあります。(文政十〓己丑=文政12年=1829年) この右面の意味は、(1).24番札所は文政期には蘇羽鷹神社にあったとも、(2).蘇羽鷹神社の氏子が別当寺の光明寺に建てただけとも取れます。

本堂

光明寺本堂
光明寺本堂

大師堂

光明寺大師堂
光明寺大師堂
光明寺大師像台座
光明寺大師像台座
台座のうち、下段には「第二十四番明治四十二年」とあります。(明治42年=1909年) これと、門前の標識塔と併せて考えると、光明寺は文政期・明治期には24番だった事が濃厚です。しかし、昭和期においては、光明寺は79番とされています。

イチョウ

光明寺のイチョウ
光明寺のイチョウ
光明寺の保護樹木指定標識
光明寺の保護樹木指定標識
境内のイチョウは、松戸市の保護樹木に指定されています。

次回は、幸谷の福昌寺(33番&45番)

次回は、幸谷の福昌寺(下総四郡大師45番、江戸川八十八ヶ所33番&45番)に参ります。参道を戻って右折し、JR武蔵野線に沿う道を北西に進みます。