(令和5年4月21日その5)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、平岡の東大寺(22番&28番)の次は、小林の鳥見神社に寄り道した後、小林の馬場の堂(37番)に参ります。
東大寺参道から道路を左(北)に出て坂を下り、JR成田線の平岡踏切の手前(南)にある十字路、ここを右折します。ここから約1.0km(、東大寺からは約1.4km)の十字路、ここを右折します。そうすると、すぐ右手に大師堂があります。
JR成田線平境踏切南の大師堂
新しい大師堂です。
そのまま道を進んで、ゆるゆる坂を上ります。途中の三叉路は左の方が近道な気がしましたが直進、最終的に通りに出ます。この写真の左から来て、奥の方に左折します。すぐ左に小林の鳥見神社がありますので、寄り道します。手前に印西市消防団第2分団第5部の倉庫がありますね。
小林の鳥見神社
鳥見神社、印西市小林2712番地。(千葉県の宗教法人名簿より)参道すぐに鳥居、その先参道真っ直ぐに拝殿、鳥居と拝殿の間左に新しい石碑があり、境内に摂末社が散在しています。なお、大師堂はありません。
石碑
これに拠れば、ご祭神は、天饒速日命、宇麻志間知命、御炊屋姫命の3柱、安永7年(1778年)に本殿拝殿を改築。
拝殿
本殿
それでは、移動します。参道から道路に出て左(東)、そこから見える標識のとおりに、次の右折可能な三叉路を右に入ります。すると、道の右側にお堂の背中が見えますが、これが馬場の堂です。
37番大師堂(馬場の堂)
印西大師37番。大師堂の左に弘法大師供養塔があります。
弘法大師供養塔
供養塔の正面「南無大師遍照金剛」、左面「先達 笠神 南陽院 小林 西福寺 萩原 龍泉院」、右面「大正十年十一月二十一日建〓」でしょうか。(大正10年=1921年)
この辺りですが、大師堂から見て、斜め右にお堂があり、そのお堂から道路へ出るところ、左右に石塔石仏があります。さらに南側は墓地になっており、その奥に馬場集会所、そしてグラウンドとなっています。
お堂
何のお堂かはわかりません。因みに、明治前期の迅速測図では、ここら辺りに大日堂が記されています。
古い石塔石仏
写真の1番右の石仏には「拾九夜念」、「元禄十」「辰」「十九日」、2番目の石仏は倒置、3番目には「奉待十九夜講中」、「文化六」、4番目は「奉造立十九夜」、5番目「奉供養廿三夜諸願成就」、「〓〓十七壬子天十月」、6番目「養十九夜爲二世安樂也」とあるようです。(元禄1n年辰=元禄13年=1700年、文化6年=1809年、〓〓17年壬子=享保17年=1732年)写真の右から3番目「奉待十九夜講中」、この3番目から4、(5、6は倒壊、)7、8番目は六地蔵です。
馬場集会所
馬場というのは 、この辺りの小字です。
次回は、小林の光明寺(81番)の予定
次回は、小林の光明寺(81番)を目指します。道路に出て右(南)に進みます。