印西大師・印西地区の大師堂巡拝 和泉の円光院(15番)&中台堂(3番)

(令和5年4月13日その4)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、小倉の宝珠院観音堂(12番)の次は、和泉の円光院(15番)&中台堂(3番)に参ります。
宝珠院観音堂から泉倉寺横の道に出て左折(北行)し、坂を下ります。その先の小川に架かる橋の所、

印西市小倉の北端
印西市小倉の北端
橋を渡ってから右折してもいいですが、橋の手前で右折、すぐ次の橋を左折して渡って、すぐ突き当りを右折します。その先は、
和泉円光院西
和泉円光院西
上り坂まで道なりに進み、坂上の三叉路を、道なり気味に右折します。間もなく、左手に、印西市消防団第7分団第10部の倉庫が現れます。
印西市消防団第7分団第10部倉庫
印西市消防団第7分団第10部倉庫
倉庫の隣の階段を登った所が目的地です。
和泉円光院への階段
和泉円光院への階段
この階段下右側の石塔ですが、
和泉円光院階段下右石塔
和泉円光院階段下右石塔
「円光院」と彫られています。じゃあ、階段上が円光院なのかと登っていけば、ちょっと違います。
和泉円光院階段上
和泉円光院階段上
階段上の参道真直ぐに和泉会館、左に、まず15番大師堂、その奥(右隣)に3番大師堂があります。

和泉会館

印西市和泉の和泉会館
印西市和泉の和泉会館
どう見ても、かつて円光院があったところに、和泉会館を建てました、というところでしょう。

15番大師堂(円光院)

印西大師15番。

15番大師堂
15番大師堂
印西大師15番番号札
印西大師15番番号札
15番御詠歌額
15番御詠歌額
15番大師像台座
15番大師像台座
上の台座には「嘉永〓寅年十月吉日」とあります。(嘉永の寅年=嘉永7年=1854年)

3番大師堂(中台堂)

印西大師3番。

3番大師堂
3番大師堂
印西大師3番番号札
印西大師3番番号札
3番大師像台座
3番大師像台座
この台座の文字はちょっと変わっています。「大乘妙典經全部 天下泰平 奉納四国西國秩父坂東諸國廻国供養 日月清明 山城国京都西陳産 戒金坊」、つまり京都西陣生まれの戒金坊という修行者が、四国八十八ヶ所と西国坂東秩父の百観音に、大乗妙典、即ち法華経を奉納したというアピールです。六十六部の変則バージョンでしょうか。国という文字の字体がバラバラです。
なお、印西大師の3番札所は、昔(明治初期)には円光院より2丁26間離れたところにあって、和泉の中台堂と呼ばれていました。

両大師堂間の地蔵尊

この二つの大師堂の間に、地蔵尊の台座2基と、その上部だったかもしれない地蔵像2体がありました。

和泉円光院の地蔵尊
和泉円光院の地蔵尊
右の台座の正面中央「奉供養地藏尊」、その左右「寛保三癸亥天 十月吉日」、左の台座は「十六夜講中 奉造立地藏尊 宝暦元辛未十一月吉日」とあります。(寛保3年=1743年、宝暦元年=1751年)

大師堂後方の石塔石仏

和泉円光院の石塔石仏
和泉円光院の石塔石仏
それでは、次に移動します。階段を降りて左(東)に、すぐの二股分岐は左側、後は道なりに進むと、階段から約0.3km強で、三叉路の向こう左手に庚申塔があります。この一角は、和泉の鳥見神社になります。
和泉鳥見神社三叉路
和泉鳥見神社三叉路
本記事が長くなるので、ここで分割します。

次回は、和泉の鳥見神社

次回は、大師堂は有りませんが、和泉の鳥見神社に参ります。