平塚村大師その肆、東葛印旛大師巡拝 平塚東区集会所(52番)

(令和5年4月5日その9)
東葛印旛大師巡拝、平塚村大師その参の続きになります。
平塚東区集会所と東葛印旛大師52番のお堂の前に来ました。

平塚東区集会所前(再掲)
平塚東区集会所前(再掲)

平塚東区集会所

東葛印旛大師52番。
印西大師(明治初期の)掛所本郷堂か?

平塚東区集会所
平塚東区集会所

集会所の石仏たち

集会所の敷地南側に、石仏があり、昔はお寺かお堂があったようです。

平塚東区集会所の石仏たち
平塚東区集会所の石仏たち
写真右端の石仏は、近年作成されたもので、少なくともその頃までは女人講が残っていたようです。

52番大師堂

52番大師堂
52番大師堂
さて、東葛印旛大師の52番札所は、文政期・明治期には近くの鳥見社にあって、移転して昭和期には本郷堂、あるいは、弥陀堂と呼ばれていたようです。
なお、ここのバス停ですが、
平塚本郷集会所バス停
平塚本郷集会所バス停
平塚本郷集会所という名称です。本郷というのは、このあたりの小字です。
ここで、カメラの電池残量が少なくなっており、次の延命寺(東葛印旛大師65番&84番、下総四郡大師84番、印西大師54番)の撮影を賄いきれるか不安なので、帰路につきます。
道を反転して南へ進みます。中台からの丁字路も直進して、しばらくして右側に、平塚村大師を発見しました。
平塚村大師5n番前
平塚村大師5n番前

平塚村大師5n番

平塚村大師5n番
平塚村大師5n番
平塚村大師5n番台座
平塚村大師5n番台座
「五十」まで読めたので5n番とします。
そして、道の反対側、少し戻ったところに65番です。
平塚村大師5n番&65番
平塚村大師5n番&65番
写真の左手前が5n番、右が65番です。

平塚村大師65番

平塚村大師65番
平塚村大師65番
平塚村大師65番台座
平塚村大師65番台座
「伊豫国三角寺〓 新四國六十五」
ここで振り返ると、先の5n番の右に、43番がありました。
平塚村大師5n番&43番
平塚村大師5n番&43番

平塚村大師43番

平塚村大師43番
平塚村大師43番
「豫州明石寺寫 新四國四十三番」
そのすぐ先(南)、もう家並みも途切れるころ、道の右側に、本日最後、21番です。

平塚村大師21番

平塚村大師21番
平塚村大師21番
平塚村大師21番台座
平塚村大師21番台座
「第廿一番」
以上、本日は、まず島大師の札所の8番、13番から15番、17番、20番、21番の7ヶ所から始め、東葛印旛大師の札所3ヶ所、掛所2ヶ所、元掛所1ヶ所に参り、平塚村大師は、えーと、最大39か所を廻りました。