東葛印旛大師巡拝道中 下柳戸の下総四郡大師道標

(令和4年9月10日その5)(令和4年9月25日その1)
東葛印旛大師巡拝、下柳戸(柳戸)の六所神社(元40番)の次ですが、手賀の兵主八幡両神社(13番)に参る途中で見つけた、下総四郡大師の道標について書きます。
六所神社から道を返して南に進み、三叉路まで戻って左折(東行)する前に、

下柳戸六所神社南の三叉路
下柳戸六所神社南の三叉路
この電柱の根本左に、石塔があります。ここへ来るときは、電柱の影になって気付かなかったようです。
そしてこの石塔は、下総四郡大師の道標でした。

下柳戸六所神社入口の下総四郡大師道標

下柳戸六所神社入口の道標西面
下柳戸六所神社入口の道標西面
下柳戸六所神社入口の道標北面
下柳戸六所神社入口の道標背面
この道標、西面には左(北)を指す手の絵に「大師道八十六番西光院」、北面は「明治四十一年十一月」とあります。(明治41年=1908年)
この道標を発見したときは、ここから北、つまり六所神社の方向に西光院(86番)というのは、方角が違うのではないか、また、残り2面には情報が無いので、他の札所への移動には使えなくて不便ではないかと、思いました。
ただ、帰宅してから調べてみて、東葛印旛大師の昭和初期の史料には、阿弥陀堂(≒六所神社)に40番と86番が置かれている事を確認しました。東葛印旛大師の86番は、下総四郡大師の86番でもありますから、明治41年の時点で、下総四郡大師(兼 東葛印旛大師)86番札所が阿弥陀堂にあったとすれば、方角は正しい事になります。
また、六所神社・阿弥陀堂への道は、行き止まりみたいなものですから、この三叉路の西から来て、北に寄り道した後、戻って東に行くという事であれば、だいたい無問題です。

後日(令和4年9月25日)調査分

帰宅後いろいろ調べてみると、道標の南面にも字がしっかりあったようなので、後日調べなおしました。

下柳戸六所神社入口の道標南面
下柳戸六所神社入口の道標南面
南面の中央「大師道四國八十八ヶ所」、その右「〓〓二番〓山南藏院ヘ〓丁六間」、その左「八十三番弘誓院ヘ六丁四間」とあります。南面が正面でしたね。
下柳戸六所神社入口の道標付近
下柳戸六所神社入口の道標付近
道標は、階段手摺の側にある方ではなく、手前の菊の葉に隠れかかっている方です。
追加調査分はここまでです。

それでは、この三叉路を東に進み、兵主八幡両神社へ参りましょう。千葉県道282号に合流して、県道が少し右カーブした直後、左に階段があります。
千葉県道282号下柳戸東の階段
千葉県道282号下柳戸東の階段
これは島大師の何かがあるのかと思い、入ってみると、そこは行き止まりというか、畑地でしたが、階段の右にまた道標がありました。
下柳戸東の下総四郡大師道標
下柳戸東の下総四郡大師道標

下柳戸東の下総四郡大師道標

下柳戸東の下総四郡大師道標正面
下柳戸東の下総四郡大師道標正面
下柳戸東の下総四郡大師道標左面背面
下柳戸東の下総四郡大師道標左面背面
この道標、まず正面については、上部に右(東)を指す手と左(西)を指す手の絵があり、その下の中央「大師道」、左「八十〓番」、左下や、右にも何か文字がありますが、光の加減のためかよくわかりません。道標の左面には左(北)を指す手の絵に「大師道七十二番片山南蔵院」、背面には「明治四十一年」とあります。
さて、明治から昭和前期の地図を見ますと、この地点から北へ、片山地区に至る道があったようです。大師道としても、この地点が、片山の南蔵院(72番)への分岐点だったので、道標が建てられたのでしょう。
それでは再度、兵主八幡両神社目指して県道を東に進みます。次の三叉路交差点、
千葉県道282号手賀片山入口
千葉県道282号手賀片山入口
ここを斜め左に入ります。この交差点から約0.4kmを道なりで緩く左にカーブしながら進むと、左側に庚申塔群があり、その先に兵主八幡両神社の南側の鳥居が見えます。
兵主八幡両神社南の庚申塔群
兵主八幡両神社南の庚申塔群

次回は、手賀の兵主八幡両神社(13番)

次回は、手賀の兵主八幡両神社(13番)に参りますが、まずは庚申塔群を見てみます。