東葛印旛大師巡拝 塚崎の神明社(元掛所)

(令和4年7月21日その5)
東葛印旛大師巡拝、高柳の善竜寺(2番)&念仏堂跡(3番)の次は、塚崎の神明社(元掛所)に参ります。
念仏堂跡から千葉県道8号線に出て左折(北行)し、交差点を越えてすぐ右が神明社になります。

塚崎神明社前
塚崎神明社前

神明社

神明社、柏市塚崎1460番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師元掛所。
東葛印旛大師文政期の18番。(塚崎新田 子丿大権現 分)
下総四郡大師再興時の掛所。

塚崎神明社西参道
塚崎神明社西参道
こちらの階段参道真直ぐに上った所に柏市指定文化財の石鳥居、その先に拝殿、拝殿の左前に神明神社の榊の碑、拝殿の左に柏市指定文化財の手水鉢、その先に北側の階段参道、拝殿の右手やや斜め後方に合祀記念の碑、その方向には境内社が並び、その右端に境内社 子の神社があります。神社の杜は沼南の森とも称されます。

石鳥居

塚崎神明社石鳥居正面
塚崎神明社石鳥居正面
塚崎神明社石鳥居と説明板
塚崎神明社石鳥居と説明板
塚崎神明社石鳥居左柱
塚崎神明社石鳥居左柱
塚崎神明社石鳥居説明板
塚崎神明社石鳥居説明板
鳥居の右柱には一段高く「神明宮 石華表」、その右に「下總國相馬郡塚崎村」、左柱には「寶暦七年丁丑二月日執政中大夫拾遺伯州刺史藤原正珍」とあります。(宝暦7年=1757年、華表=鳥居、執政=幕府老中、中大夫=従四位下、拾遺=侍従、伯州刺史=伯耆守) 藤原は本多氏の本姓です。本多正珍についてはWikipediaのページ( 本多正珍 - Wikipedia )をご覧ください。この鳥居は柏市の指定文化財です。
www.city.kashiwa.lg.jp

神明神社の榊の碑

神明神社の榊の碑
神明神社の榊の碑
千葉県指定天然記念物とありますが、現在は指定を解除されているようです。

拝殿

塚崎神明社拝殿
塚崎神明社拝殿

手水鉢

塚崎神明社手水鉢
塚崎神明社手水鉢
塚崎神明社手水鉢説明板
塚崎神明社手水鉢説明板
これに拠れば、寛文9年(1669年)の銘があるそうで、柏市の指定文化財です。

北側参道階段

塚崎神明社北側参道階段
塚崎神明社北側参道階段

合祀記念の碑

塚崎神明社合祀記念の碑
塚崎神明社合祀記念の碑
この碑では、塚崎新田の子の大神を筆頭とし、その他の神社( 浅間神社、琴〓神社、白〓神社、厳嶋神社、面足神社? )を合祀した旨が書かれているようです。碑には「明治四十一年」とあります。(明治41年=1908年)

子の神社

塚崎神明社境内社子の神社
塚崎神明社境内社子の神社
前述の子の神社です。遷座前、塚崎新田にあった文政期に、東葛印旛大師の18番札所になったようです。その後、札所は、明治の神仏分離期までには塚崎の薬師堂に移転し、現在は、塚崎の寿量院(18番&76番)にあります。
塚崎神明社境内社子の神社説明板
塚崎神明社境内社子の神社説明板
塚崎神明社境内社子の神社手水鉢
塚崎神明社境内社子の神社手水鉢
左面に「文政十丁亥年九月吉日」とあります。(文政10年=1827年) また、世話人の名の上に記されている、「日暮」、「染谷」、「篠田」は、地名・村名では無く、姓だと思われます。

境内の杜

塚崎神明社境内北側の杜
塚崎神明社境内北側の杜
塚崎神明社境内南側の杜
塚崎神明社境内南側の杜
沼南の森案内図
沼南の森案内図
これに拠れば、ご祭神は、天照皇大神、八幡大神、春日大神でしょうか。
さて、神明社は、かつては東葛印旛大師の掛所であったようですが、現在は掛所の扱いは無いようです。また、下総四郡大師の再興時にも、掛所とされました。なお、大師堂等は見当たりませんでした。

次回は、藤心の慈本寺(9番)

次回は、藤心の慈本寺(9番)に参ります。県道8号線に戻って横断して西へ進みます。