(令和4年7月18日その13)
東葛印旛大師巡拝、戸張の正光寺(19番&42番)の次は、大井の福満寺(7番&54番)と香取神社(元54番)に参ります。
柏市戸張と柏市大井を結ぶ大津川橋、この橋は一般の自動車が通行できる大津川で最下流の( 手賀沼に最も近い )橋ですが、これを東へ渡り、その先の突き当りを左折します。そこから右折可能な2つ目の角、福満寺と東山霊園の看板があるところを、右折します。そこから道なりに直進すると、突き当りのところ、向こうに福満寺の建物が見えます。突き当りは左折して、そちらに向かいます。
福満寺
天台宗、福満寺、柏市大井1708番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師7番&54番。
東葛印旛大師文政期の掛所。(観音堂)
下総三十三観音14番。
入口から本堂
山号は教永山、院号は積善院。この入口から参道真直ぐに本堂があります。この参道の左に池があり、池の左側・境内南側が重要です。
境内南側の大師堂群
道路側にお堂がいくつかあります。そのうち一番北側のお堂は、阿州切幡寺(10番)の写しのお堂です。その先、南側の斜面に多数のお堂があります。そのほとんどが福満寺の八十八ヶ所のお堂です。池の南側にもお堂があります。これらの中に、東葛印旛大師の札所のお堂が2棟あります。一つは、池の南側で、もう一つは南西側手前、斜面の一番下、両者とも、大井大師組合の名で番号札や御詠歌額を掲示しています。それとは別に福満寺八十八ヶ所の7番や54番も存在します。例えば、こちらが福満寺八十八ヶ所の7番です。
金比羅堂
南西側に金比羅堂があります。
観音堂
池の南西側に観音堂があります。下総三十三観音の対象です。また、東葛印旛大師の文政期の掛所だったようです。
隣は香取神社
寺の南東側道路の向かい、小高くなっている所が香取神社です。そちらに参るべく、道路に出て右の坂を上ります。
鐘楼
坂上には山門を兼ねたような鐘楼があります。
標柱
これは旧沼南町が建てた標柱です。これに拠れば、福満寺の創建は奈良時代、近世の建物は観音堂と鐘楼のみ、香取神社の創建は元和5年(1619年)。
その香取神社は、東隣です。
大井の香取神社
香取神社、柏市大井1756番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師文政期の54番。鳥居の左に社殿改築並に境内整備記念之碑、鳥居から参道が途中折れた先に拝殿があります。
社殿改築並に境内整備記念之碑
拝殿
なお、7番札所は文政期から福満寺でしたが、54番札所は、文政期には(、おそらくは明治の神仏分離期までは、)香取社にあったようです。現在の香取神社には、札所の痕跡は見当たりませんでした。
帰宅
カメラの電池が切れたので、帰宅します。本日は、東葛印旛大師の札所13ヶ所、元札所の神社3ヶ所、それとは別の掛所1ヶ所、下総四郡大師の札所1ヶ所に参りました。