江戸川八十八ヶ所巡拝 幸谷の福昌寺(33番&45番)

(令和4年4月30日その3)
江戸川八十八ヶ所巡拝、二ッ木の光明寺(79番、文政期・明治期の24番)の次は、幸谷の福昌寺(下総四郡大師45番、江戸川八十八ヶ所33番&45番)に参ります。
光明寺の前の道を右に出て、JR武蔵野線に沿って北西に進みます。程なく、線路を挟んで左手に福昌寺です。

福昌寺前
福昌寺前
写真だと全然わからない…、左の緑の中です。

福昌寺

曹洞宗、福昌寺、松戸市幸谷176番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
下総四郡大師45番。
江戸川八十八ヶ所33番&45番。

福昌寺入口
福昌寺入口
線路の上に架かる橋を渡って、左(東)に本堂などの新しい建物、右(西)には古くからのお寺らしい空間が広がっています。

東側境内

福昌寺東側境内
福昌寺東側境内

西側境内

福昌寺西側境内
福昌寺西側境内
西側境内は、正面奥に観音堂、入口入ってすぐ右に45番大師堂、観音堂の右前方向に33番大師堂があります。

観音堂(幸谷観音)

福昌寺観音堂
福昌寺観音堂

幸谷観音野馬捕の献額説明板

幸谷観音野馬捕の献額説明板
幸谷観音野馬捕の献額説明板
観音堂の右前にある説明板です。これに拠れば、江戸時代に小金牧・上野牧で行われた野馬捕を描いた額が、福昌寺に献納されているそうです。松戸市の指定文化財です。

45番大師堂

45番大師堂
45番大師堂

45番標識塔

45番大師堂の右に、45番標識塔があります。

45番標識塔背面右面
45番標識塔背面右面
標識塔の正面「准豫州巖谷寺」、右面「四国四十五番寫慈眼山福昌寺」、背面「文化七…三…」、右台座「右小金道」、左台座「左馬橋道」とあります。(文化7年=1810年) この標識塔は下総四郡大師のものです。

33番大師堂

33番大師堂
33番大師堂
33番大師像台座
33番大師像台座
こちらの大師像台座には、「江戸川大師第三十三番松戸市幸谷」とあります。因みに、幸谷が松戸市になったのは昭和18年(1943年)です。

古い庚申塔

福昌寺の古い庚申塔
福昌寺の古い庚申塔
33番大師堂の右にある、覆いのついた古い庚申塔です。このうち向かって左側の塔には、寛永2年(1625年)の銘があるそうです。

古い大師像

福昌寺の古い大師像
福昌寺の古い大師像
古い庚申塔の裏側、無縁仏などがあるエリア内に見つけました。欠損が多く、大師像とは確定できませんが、多分そうでしょう。

モッコク

保護樹木指定標識モッコク
保護樹木指定標識モッコク
モッコクのある福昌寺境内
モッコクのある福昌寺境内
その無縁仏エリアの左隣にあるモッコクは、松戸市の保護樹木の指定を受けています。

次回は、二ッ木の常行院(80番)

次回は、二ッ木の常行院(80番)に参ります。西側境内を出て左(北北東)に進路を取ります。