吉橋組大師巡拝 地蔵堂(56番)&番外札所十夜ヶ橋

(令和4年1月19日その8)
吉橋組大師巡拝、竜蔵院(3番)&日枝神社(67番)の次は、地蔵堂(56番)と番外札所十夜ヶ橋です。
日枝神社の前の道を右に、竜蔵院とは反対の方向に進みます。この道のままですとアンデルセン公園に向かってしまうので、一本左の道になんとか乗り換えて進みます。すると千葉県道288号線に出るので、これを三咲方向に左折します。左手に須賀神社がある信号交差点を過ぎて約250mで右手に、地蔵堂のある墓地が現れます。(なお、左手も墓地です。)

地蔵堂のある墓地
地蔵堂のある墓地
この地点からは、県道288号線を、西南西へ約2.0kmで新京成線三咲駅、東北東へ約4.1kmで国道16号線(小室交差点)に、各々到達します。
さて、墓地の中は突っ切らず、その手前の道を右折します。
御堂と大師堂
御堂と大師堂
すると左側に、御堂と呼ばれる建物と、その左手に大師堂が現れます。

地蔵堂(56番)と番外札所十夜ヶ橋

地蔵堂(56番)と番外札所十夜ヶ橋
地蔵堂(56番)と番外札所十夜ヶ橋
左側のやや大きい方が56番大師堂、右側が番外札所十夜ヶ橋の大師堂です。土台の部分の違いは、土台工事の時期の違いを示すかのようです。
56番札所は、天保期には吉橋村の八幡宮にありましたが、慶応期までには神保新田の地蔵堂に移転しました。
十夜ヶ橋は、後から追加された番外札所で、この記事冒頭で触れた須賀神社にあったものが、昭和59年に当地に移転したものです。

両堂の御詠歌額

地蔵堂の御詠歌額
地蔵堂の御詠歌額
十夜ヶ橋の御詠歌額
十夜ヶ橋の御詠歌額
両堂の御詠歌額は、いずれも昭和23年5月付のもので、良好な状態にあります。

神保新田の歴史

序でに、当地、旧神保新田の歴史について、外部サイトへのリンクを張っておきます。
www.city.funabashi.lg.jp
これによれば、神保新田は延宝年間(1673年-1681年)に、近接する村々によって開発されたそうです。

次回は、稲荷社(44番)

次の札所は、三咲の稲荷社(稲荷神社)です。県道288号線を西南西に約0.6km進みます。