六崎組十善講八十八ヶ所巡拝 米戸の勢至堂(19番&かけ番)&上別所の円明院(6番)

(令和6年7月18日その7)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、瓜坪新田の大師堂(かけ番)&諏訪神社の次は、米戸(こめど)の勢至堂(19番&かけ番)、続けて、上別所(かみべっしょ)の円明院(6番)に参ります。
諏訪神社の鳥居から道路に出て左(南)へ、

瓜坪新田諏訪神社前
瓜坪新田諏訪神社前
すぐの交差点は道なり右カーブで、大師堂の裏を通過し、なおも道なりで右カーブして北北西に進みます。次に左にカーブした直後の三叉路で、
佐倉市瓜坪新田から米戸集落への近道分岐三叉路
佐倉市瓜坪新田から米戸集落への近道分岐三叉路
斜め左に分岐します。道なりにやや下って、この交差点、
佐倉市米戸のとある交差点
佐倉市米戸のとある交差点
ここで左折は、抜けられるか不明だったので、採用せず、道なり( 写真やや右 )で、すぐの突き当たり丁字路で左折しました。
それから下り坂になって、坂下の谷津田手前の交差点、
米戸勢至堂東の交差点
米戸勢至堂東の交差点
ここで右折すると、すぐに道路右手に階段が現れます。
米戸勢至堂入口
米戸勢至堂入口

米戸の勢至堂

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
六崎組十善講八十八ヶ所19番。
六崎組十善講八十八ヶ所かけ番。
階段入口左に米戸小学校跡の標柱、その奥に道標を兼ねた秩父三十四番供養塔、階段を上ってのスペース奥に大師堂です。勢至堂自体は見当たりません。廃寺なのでしょうか。

米戸小学校跡標柱と秩父三十四番供養塔

米戸小学校跡標柱と秩父三十四番供養塔
米戸小学校跡標柱と秩父三十四番供養塔
米戸小学校は明治7年(1874年)開校だそうです。
米戸勢至堂階段下秩父三十四番供養塔右面
米戸勢至堂階段下秩父三十四番供養塔右面
米戸勢至堂階段下秩父三十四番供養塔背面米戸勢至堂階段下秩父三十四番供養塔左面
米戸勢至堂階段下秩父三十四番供養塔
草に隠れている部分も多いですが、供養塔の正面「秩父三十四ヶ所觀世音供」、右面「北 下勝田酒々井成田 東 瓜坪八街芝山 道」、背面「明治三十二年九月」、右面「南 上別所… 西 直弥佐倉」でしょうか。

階段

米戸勢至堂階段
米戸勢至堂階段

階段上広場

境内跡もしくは小学校跡です。さして広くないです。

米戸勢至堂階段上広場
米戸勢至堂階段上広場

大師堂

米戸勢至堂大師堂
米戸勢至堂大師堂
米戸勢至堂大師堂御詠歌額
米戸勢至堂大師堂御詠歌額
御詠歌額は、「第十九番(米戸)」、19番御詠歌、「同所勢至堂」、オリジナル御詠歌、「南無(遍照)金(剛)」。()内は推測です。
ここは19番札所と、かけ番(番外札所)が同居しています。

石塔石仏群

大師堂の右後方に、いくつか石塔石仏がありますが、墓石のようです。

米戸勢至堂石塔石仏群
米戸勢至堂石塔石仏群
それでは、次へ参ります。階段に戻って、
米戸勢至堂階段上
米戸勢至堂階段上
下りてすぐ右に切り返し、少しの間、谷津田の北縁を西へ進みます。すると左(南)から別の谷津が合流してきます。
佐倉市米戸の谷津田
佐倉市米戸の谷津田
も少し進んで、犬の鳴き声をやり過ごしての丁字路、
佐倉市米戸の谷津田の丁字路
佐倉市米戸の谷津田の丁字路
ここで左折、直弥・上別所の谷津田の西縁を南へ進みます。そして、上別所の集落が近づいて、
佐倉市上別所集落北の谷津田
佐倉市上別所集落北の谷津田
突き当りの道路は、
佐倉市上別所集落北交差点
佐倉市上別所集落北交差点
左(南)へ、次の丁字路、
上別所円明院入口丁字路
上別所円明院入口丁字路
右に入ります。そしてすぐのところ、
上別所円明院直前の分岐
上別所円明院直前の分岐
ここは右の平坦な方に入ります。その先、右の民家には入らずに真っ直ぐ奥が円明院です。
上別所円明院前
上別所円明院前

上別所の円明院

真言宗豊山派、円明院、佐倉市上別所175番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
六崎組十善講八十八ヶ所6番。
本堂と、その左に6番大師堂です。

上別所円明院
上別所円明院

本堂

上別所円明院本堂
上別所円明院本堂
上別所円明院本堂扁額
上別所円明院本堂扁額
扁額は「慈光山圓明院法性寺」。

6番大師堂

上別所円明院6番大師堂
上別所円明院6番大師堂
上別所円明院6番御詠歌額
上別所円明院6番御詠歌額
御詠歌額の冒頭は「六番」。

境内裏手

上別所円明院境内裏手
上別所円明院境内裏手
上別所円明院境内裏手のユリ
上別所円明院境内裏手のユリ

帰宅

今日はここまでとしました。本日は、13番&27番、8番、15番、34番&55番、12番、かけ番、19番&かけ番、6番、他に神社3ヶ所に参りました。