(令和6年8月27日その3)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた、佐倉市の旧内郷村地域探訪、前回記事では飯野地区の常安寺より東の鹿島川沿いを廻った後、坂を上って東徳寺の本堂・大師堂に参りました。今回は、東徳寺の観音堂側からになります。
飯野の東徳寺・飯野観音(続き)
真言宗豊山派、東徳寺、佐倉市飯野691番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
16番大師堂あり。
新坂東3番。
大聖院の末寺。
山号は飯埜山、院号は観音院、本尊は延命地蔵菩薩、観音堂には馬頭観音。
本堂側から狭い道路を挟んで南東の観音堂側に移ります。
保存樹説明板
入ってすぐに、保存樹の説明板がありました。これに拠れば、観音堂の所在地は佐倉市飯野6、観音堂は享保年間(1716年-1736年)の建立。
観音堂境内
観音堂の正面から参道を戻りまして、階段の上へ。そこから反転します。ここから右には、飯野公会堂があります。
飯野公会堂
常夜灯群
参道にもどりますと、複数の常夜灯があります。この一対の常夜灯、正面「常夜燈」、参道側側面「天保三年壬辰仲夏」、台座正面には武士の名が複数刻まれている。(天保3年=1832年)この常夜灯、正面「文化五年戊辰〓月十〓日」、参道側左面「奉納御寳前」、台座左面に武士の名。(文化5年=1808年)この一対の常夜灯、正面「常夜燈」、参道の逆側側面「文化十三年丙子仲春」、台座正面に武士の名。この一対の常夜灯、正面は居士号の法名、左面「寳暦三癸酉歳九月十八日」、右面「常夜燈東德寺現住 法印〓圓」、背面「飯野山馬頭観世音御宝前」。(宝暦3年=1753年)
観音堂
扁額は、読めん。新坂東3番の御詠歌額は、「三番」、飯野山を詠み込んだオリジナル御詠歌。さて、境内右側、観音堂から見て左には、参道寄りに宝篋印塔などの大きな石塔、奥側に石仏があります。
石塔群
百観音供養塔の正面は、梵字3字に「奉供養西國百番大願成就所」、西国の左右に「坂東 秩父」、左面「維時弘化二歳竜集乙巳七月十八日」。(弘化2年=1845年)
石仏群
この中の中央、一番大きな石仏は、中央最上部に種字、右「兩村十五月念佛道行衆」、左「元禄九丙子天十月日」。(元禄9年=1696年)
その右の石仏3基、写真の左端は子安像で、左右「寛政十二庚申天 十月吉祥日」。(寛政12年=1800年) その右も子安像で、右に「天保九…」。右端は地蔵像で、中央最上部に種字、右「奉造立〓〓一躰…就之所」、右2行目はよう読めんが、最後に「願主常念」、左「…二世〓樂之所」、左2行目は推測だが「元禄十五壬午七月十八日」だろうか。
退出
因に、本記事執筆時点で、ここ東徳寺の他に、旧内郷村土浮の正福寺、同じく旧内郷村岩名の玉泉寺、他には、鏑木町の大聖院(六崎組十善講17番&同61番)、神門の玉蔵院(同2番)、六崎の普門院(同76番)、大篠塚の西福寺(同77番)の7ヶ寺の代表役員が同一氏名となっています。
それでは、観音堂側左手の道路に出て右(北東)へ進みます。すると、右手に記念碑を見つけました。
記念碑
これは、昭和30年(1955年)の農地交換分合事業、及び、昭和52年からの飯野町前土地改良事業などを記念するものです。
次回は、飯野の麻賀多神社など
次回は、飯野の西側台地を廻ります。そのまま北東に進みます。