(令和6年8月2日その2)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、六崎の鏡宝寺(1番&31番&38番)&妙見神社の次は、六崎の56番大師堂、続けて、六崎の浅間神社(元38番候補)に参ります。
鏡宝寺から門前の千葉県道65号佐倉印西線に出まして、左(南)でも良いのですが、ここは県道を横断して妙見神社前の丁字路まで戻って左へ、旧道で南へ進みました。その道が県道に合流するところ、合流直後の県道右(西)側に、56番大師堂があります。
六崎の56番大師堂
六崎組十善講八十八ヶ所56番。御詠歌額の冒頭「五十六番」。大師像の台座「五十六番」、六崎組十善講のお札もある。
そして右端に、栗毛、額に流星、頭絡は青、7番ゼッケン、有馬記念のレイ、これはテイエムオペラオーとみた。( グラスワンダーの可能性もあるが。 )
さて、この大師堂の周辺ですが、北側は、旧道が直進し、県道が右にカーブしています。そして南側、横断歩道があります。次へ参るため、この横断歩道を渡り、南へ進んですぐ左折します。
この道が緩く右にカーブして、左手の墓地の先の丁字路で、左折して坂を下ります。坂下で、右からの道と合流した直後の右手に、階段の手すりが見えます。階段の前まで行きましょう。
六崎の浅間神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
六崎組十善講八十八ヶ所元38番候補。
階段を上って、その先に拝殿、拝殿手前右に手水舎、拝殿右に移転の記念碑、社殿の後方に三山供養塔群、境内には境内社が散在します。
大師堂はありません。なお、現在鏡宝寺にある38番は、資料には六崎の浅間社となっており、ここの浅間神社が、元札所であった可能性があります。
参道階段
境内社
参道階段途中右に下浅間神社、階段上の平坦部左に疱瘡神です。
鳥居?
その参道階段が終わる所、この柱は、どうやら鳥居のようです。
手水鉢
手水鉢の正面「奉納」、右面「天保十二年 辛丑二月」。(天保12年=1841年)
拝殿
本殿
三山供養塔
三山供養塔群の中の左奥にある、小さな供養塔は、正面は、上部に種字3字、その下は中央「湯殿山」、左右に「月」と「羽黒」で、湯殿山を一段高く書き、右面「文政 〓月〓」。(文政年間=1818年-1831年)
記念碑
これに拠れば、省線佐倉駅付近の立体交差規画と駅構内施設拡充のため、当地に移転したそうです。どうやら現在の千葉県道65号JR総武本線跨線橋と、総武本線の交点北東側にあった様です。
次回は、六崎の普門院(76番)&弁天神社
次回は、六崎の普門院と、近隣の弁天神社に参ります。浅間神社階段参道を下りて右へ進みます。