(令和6年7月18日その2)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、寒風の円輪寺(13番&27番)&子ノ神社(元27番候補)の次は、直弥(なおや)の宝金剛寺(8番)に参ります。
子ノ神社から道路に出て左(東北東)へ、円輪寺の先にある交差点、右折して、東関東自動車道の高架下を、潜り抜けます。抜けた先の突き当り丁字路、その向こうに墓地が確認できますが、丁字路は右折で、直後の左手に宝金剛寺の案内看板があります。その先で、この写真の左の道から来て、写真右の参道へと、切り返し左折しますと、宝金剛寺です。
直弥の宝金剛寺
真言宗豊山派、宝金剛寺、佐倉市直弥38番地の1。(千葉県の宗教法人名簿より)
六崎組十善講八十八ヶ所8番。
先の案内看板に拠れば、岩富城主・北条氏勝公菩提寺で、宝金剛寺の読みは「ほうこんごうじ」。
参道を進むと、右手に新しい六地蔵、参道を進んで右に寺号標、駐車場への進路、左に文化財説明板、掲示板、8番大師堂、そして正面に本堂、本堂の左奥に石塔石仏群があります。
参道
六地蔵
六地蔵の右から2番目、餓鬼道に対応する地蔵名は「金剛寳地蔵」、ここの寺名と関連があるのでしょうか。
寺号標
山号は皓月山、院号は静覚院。
境内
文化財説明板と掲示板
これに拠れば、岩富城主の北条氏勝( 北条氏勝 - Wikipedia )が宝金剛寺に寄進した七条袈裟2組と三鱗紋蒔絵四重椀1組は、佐倉市指定の文化財。氏勝は、玉縄城主北条綱成の孫であり、豊臣秀吉による北条攻めの際には徳川家康に降伏し、以後、岩富1万石を領した。
8番大師堂
御詠歌額の冒頭は「第八番 直弥 宝金剛寺」。
本堂
扁額は「寳金剛寺」。
本堂左石塔石仏群
この中から、こちらの石塔は、正面は種字に「秩父三十四番供養塔」、その下には「下勝田村」と「八木村」の男性名、いや男性名の最後に「母」と付いている。右面は「弘化五申二月吉日」の下に「米戸村」、「〓弥村」、「〓〓村」など、左面の下にも「寒風村」、「高崎村」など。(弘化5年=1848年)
そしてもう1基、こちらは、正面は梵字10字の下に「念佛供養塔」、左面は光の関係でよく読めず、右面の上部「昔在靈山名法華 今在西方名彌陀 娑婆示現觀世音 利益衆生同一體」、そして名字付きの男性名が多数彫られている。
ヤギ
そして本堂右手に、ヤギが飼われておりました。名前は「その」ちゃん、牝、3歳( 数え4歳 )、人見知りだそうな。
次回は、天辺の宝寿院(15番)
次回は、天辺の宝寿院に参ります。宝金剛寺の参道から道路に出て左(南)へ、それから丁字路を右折し、谷津田の対岸へ移動します。