(令和6年12月3日その4)
佐倉組十善護国講(内郷組)の札所捜索を兼ねた富里市高崎川流域の地域探訪、高松の普門寺などの次は、十倉高松入の高松入神社などに参ります。台地の上ですが、まだ高崎川水系の流域です。
高松から千葉県道77号富里酒々井線で十倉に入り、高松入神社前まで来ています。先に消防団分団機庫とキャロリン号乗降ポイントを紹介します。
富里市消防団第9分団機庫
神社鳥居の東側に富里市消防団第9分団機庫です。さらに東に、キャロリン号乗降ポイントです。乗降ポイント名は香取神社となっています。
それでは、神社に参ります。
十倉高松入の高松入神社
高松入神社、富里市十倉190番地の23。(千葉県の宗教法人名簿より)
大師堂(番号不明)あり。佐倉組十善護国講(中印旛組)札所。
鳥居
鳥居から社殿までを参道とすると、その参道は短くて、県道に平行しています。
手水鉢
まず、参道右(県道側)の手水鉢から、こちらの手水鉢の正面は「奉納氏子中」、右面「文政七…二月吉…」。(文政7年=1824年)
参道左にも手水鉢、こちらは、正面「奉納」、右面「昭和二十八年 八街町三區 …」。(昭和28年=1953年)
社殿
境内社
社殿の左後方に建物があります。これが境内社なのか、別の建物なのかは不明です。
そして社殿の後ろには、こちらは境内社です。この中の一番大きな石塔は、正面の中央「大山阿夫利神社」、その左右「大正六年 五月一日」。(大正6年=1917年) 他にも道祖神石祠などがあります。
大師堂
社殿の右後方には大師堂です。堂内には大師像が2体、それらの台座は、右の台座には「蚕大師」、左の台座には「十倉高松台 組内御中」とあり、この辺りの開拓事情が少しですが窺えます。
ここまでで退出して、次へ参ります。神社敷地から県道に出て右(南東)へ、すぐの信号十字路は、直進、続く三叉路、斜め左の分岐に入ります。しばらく進むと、左手に、動物のマンガ絵が、どうやら十二支のようですが、壁に描かれています。子供向けかもしれないが、子供が描いたものではない。すぐの信号十字路、直進の予定でしたが、左折します。
富里市立浩養小学校&幼稚園
左折した先で、この施設の正体が判明します。「富里市立浩養小学校」と「富里市立浩養幼稚園」でした。
先ほどの信号十字路に戻って左折(東行)します。すると今度は、左手に鳥居です。
十倉金堀の浩養小学校東の神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
Google Mapには、金堀稲荷大明神とあります。この本殿の背後、土の盛り方は、これは野馬土手の名残ですね。
道路に戻ってそのまま東に進みますと、やがて右にカーブした後、県道77号に突き当たります。ここを左折すると、すぐに、十倉神社、及び、実の口集会所の入口となります。
次回は、十倉実の口の十倉神社など
次回は、十倉実の口の十倉神社などに参ります。