2023年遍路第21日 弥谷寺(71番)

2023年遍路第21日その5、本山寺(70番)駐車場を出たところから。

遍路第21日(平坦ステージ)

日付 : 2023年11月6日
本山寺の参拝・納経を終え、境内南南西にある駐車場を出て左(西北西)に進む。国道11号には出ない。
この道は右にカーブして北北東へ、自販機に寄った後、香川県道229号本山停車場線を横断、豊中中学校の傍を通って北へ、県道49号観音寺善通寺線との十字路で右折する。
左から県道35号豊中三野線が合流し、県道が右に折れる十字路を直進、その県道35号の旧道に相当する道との十字路左折後すぐ右折、道なりに進む。突き当たり丁字路右折から、勝田池の南東端に出る。

三豊市高瀬町勝田池から爺神山
三豊市高瀬町勝田池から爺神山
勝田池の東側から、隣の国市池の北西側、そしてJR予讃線は渡らずに高瀬駅の南東側を通り、駅前から県道218号財田上高瀬線、県道221号宮尾高瀬線に移行する。
右から県道220号大見吉津仁尾線が合流し、県道が左に折れる十字路は直進する。これは県道221号の旧道に当たる道だろう。それから三豊市三野町大見の落合地区、小川(用水路)を渡って十字路の次の十字路で右折すると、またしばらく道なりに走る。
その道なりの途中、ちょっと左にずれて北の方を撮影。
三豊市三野町大見大屋敷から弥谷山
三豊市三野町大見大屋敷から弥谷山
三豊市三野町大見大屋敷から弥谷山ズーム
三豊市三野町大見大屋敷から弥谷山ズーム
山の下の方に「道の駅ふれあいパークみの」の隣にある老人向け施設の建物が見える。その右に、弥谷寺(71番)への車道が少しだけ見えるが、寺の建物は見えない。
道に戻って北へ、県道48号善通寺詫間線の旧道っぽい道との十字路を直進すると、弥谷寺の石柱門が現れる。

弥谷寺石柱門

弥谷寺石柱門
弥谷寺石柱門
そのまま通過して、県道48号との十字路に出る。ここから真っ直ぐ行くのが近いのだが、急な登り坂になるので、ここは左折する。
県道が緩く左にカーブして、ストレートに戻ろうかという所での十字路右折、峠池の東側を北に進み、県道221号に合流して、すぐ次の丁字路で右に折り返す。

4級山岳弥谷寺西

この丁字路から、「道の駅ふれあいパークみの」北西の丁字路まで、自転車NAVITIMEで調べると、距離873m、獲得標高51m(=標高差)、平均勾配5.84%。遠回りして緩めの坂にした。
そうして右手の道の駅の駐車場に入ったのは11時08分。だが駐輪場所に迷ってしまい、道路の反対側にある参道に向かったのは11時16分。

弥谷寺

真言宗善通寺派、弥谷寺、三豊市三野町大見乙70。(香川県の宗教法人名簿より)
四国八十八ヶ所71番。
iyadanizi.xsrv.jp
ja.wikipedia.org
弥谷寺の読みは「いやだにじ」。
「道の駅ふれあいパークみの」敷地北東角の十字路を北東に入る、その十字路右脇に境内図がある。

境内図

弥谷寺境内図
弥谷寺境内図
ここから少し進んで、車道は左に切り返し、歩きの道はそのまま進んで天霧城跡説明板、次に登り階段の先で突き当たり左右に別れる。右は次の札所への遍路道、左が弥谷寺への参道である。
参道はまず右に穴薬師、続いて階段を登って山門、しばらく谷に沿った緩い登りが続く。 それから谷の左方向に進路を変えて、百八階段となる。その先は後述。

天霧城跡説明板

弥谷寺天霧城跡説明板
弥谷寺天霧城跡説明板
弥谷寺境内よりもさらに上、北東方向の天霧山山頂付近に、国指定の史跡、天霧城跡がある。

参道山門まで

弥谷寺参道最初の階段
弥谷寺参道最初の階段
この階段を登っての右から、曼荼羅寺(72番)と出釈迦寺(73番)への遍路道が始まる。
国指定史跡讃岐遍路道曼荼羅寺道起点
国指定史跡讃岐遍路道曼荼羅寺道起点
この遍路道は、国指定の史跡、讃岐遍路道の構成要素のひとつである。
www.city.zentsuji.kagawa.jp
今は階段の左に歩く。
弥谷寺参道穴薬師前
弥谷寺参道穴薬師前
写真右に穴薬師。
弥谷寺参道山門下階段
弥谷寺参道山門下階段

山門

弥谷寺山門
弥谷寺山門
弥谷寺山門扁額
弥谷寺山門扁額
山号は剣五山。

参道山門から

弥谷寺参道山門の先
弥谷寺参道山門の先
弥谷寺岩の間の参道
弥谷寺岩の間の参道

百八階段(登り)

弥谷寺百八階段下
弥谷寺百八階段下
この階段は、途中に踊り場の無い108段の階段で、疲労の溜まった脚には堪えるのだ。
百八階段を登った先に案内図がある。

案内図

弥谷寺案内図
弥谷寺案内図
案合図の左に大師堂兼納経所への登り階段、案合図の右に進むと、先ず左に多宝塔への古い登り階段、次に左に修行大師像、修行大師像の後方に香川家代々の墓、参道は鐘楼の所で左に折れて登り階段となる。階段の途中、右に観音堂、左に十王堂、階段の上は護摩堂、護摩堂前から右に進むと天霧城跡に至る。護摩堂前から左に進んでまた登り階段、そして右の岩壁に水場之洞窟、左に薬師堂、ここから階段は複線になるが、登った先はいずれも本堂となる。この最後の階段右の岩壁に摩崖仏が彫られている。
弥谷寺案内図左大師堂前
弥谷寺案内図左大師堂前
写真の右が大師堂兼納経所である。先に本堂に参る。
弥谷寺案内図右
弥谷寺案内図右
弥谷寺本堂参道から百八階段
弥谷寺本堂参道から百八階段

多宝塔

弥谷寺多宝塔参道階段弥谷寺多宝塔
弥谷寺多宝塔
ちょっとこの階段は登れないな。

修行大師像

弥谷寺修行大師像
弥谷寺修行大師像

天霧城主香川家代々の墓

弥谷寺天霧城主香川家代々の墓説明板
弥谷寺天霧城主香川家代々の墓説明板
これに拠れば、天正13年8月の秀吉の四国攻めで滅んだ香川氏一族の墓で、昭和59年に移したものだという。(天正13年=1585年、昭和59年=1984年)(香川氏 - Wikipedia)
弥谷寺天霧城主香川家代々の墓左から
弥谷寺天霧城主香川家代々の墓左から
弥谷寺天霧城主香川家代々の墓右から
弥谷寺天霧城主香川家代々の墓右から

参道鐘楼前

弥谷寺参道鐘楼前
弥谷寺参道鐘楼前
ここで左に折れる。

観音堂

弥谷寺観音堂
弥谷寺観音堂
扁額は「観音堂」。

十王堂

弥谷寺十王堂
弥谷寺十王堂
扁額は「十王堂」。
ここで記事を切ります。

次回は、遍路第21日その6、続・弥谷寺(71番)結願

次回は、弥谷寺の続きです。