2023年遍路第9日その4、禅師峰寺(32番)から下山したところから。
遍路第9日(平坦ステージ)
日付 : 2023年10月25日
禅師峰寺から車道を下山し、麓の最初の丁字路は直進気味の左折、次の高知県道14号春野赤岡線に突き当たる丁字路は右折で、県道を西へ走る。
県道の旧道と新道が交差する十字路に着いたのが10時45分。ここまで、浦戸湾の渡船を使うか否かを考えていたが、使う事に決めたので、交差点を左折した。
種崎地区で雰囲気が変わったら、適当な所で右折し、県道278号弘岡下種崎線との十字路を左折、あとは県道を進み、県道ごと右折して、渡船の種崎側乗り場に至る。10時59分着。
長浜種崎間県営渡船
www.pref.kochi.lg.jp
渡し賃は無料。写真の自転車は、私のではないよ。
こちら側からは毎時10分発、対岸の長浜側からは毎時00分発なので、約10分待つ(つもりで待つ)。
船が来たので乗り込む。11時06分。種崎からはこちら側が船首となり、長浜ではこちら側を接岸する。最初、進行方向に対し右側に陣取っていたが、左側が良いと思って、出港前に反対側に移動。そして、浦戸大橋を撮影。11時15分到着。そのまま船を降りると県道278号で、これを西へ直進する。
右に少し曲がって右手に秦神社そして雪蹊寺(33番)という所で、左の「Cafe LiBRA」に入った。から揚げ定食(ランチ)を注文。
その待ち時間に、今晩の宿「土佐龍温泉 三陽荘」をWebから確定させた。
から揚げうまい。ごちそうさま。まずは雪蹊寺である。門前の駐車場に移動し駐輪。
雪蹊寺
臨済宗妙心寺派、雪蹊寺、高知県高知市長浜857-3。(四国八十八ヶ所霊場会Webより)
四国八十八ヶ所33番。
88shikokuhenro.jp
ja.wikipedia.org
雪蹊寺の読みは「せっけいじ」。撮影時刻は11時47分。山号は高福山。
入口入って右に説明板、参道は真っ直ぐに延びて、途中左に修行大師像、右に大師堂、参道奥に本堂がある。
説明板
これに拠れば、初め高福寺、ついで慶雲寺と称し、長宗我部元親の菩提寺となって元親法名より雪蹊寺と改めた。明治初期に一時廃寺となるも復興した。本尊は薬師如来三立像。
この本尊は国指定の重要文化財。
www.city.kochi.kochi.jp
雪蹊寺には他にも国指定の重要文化財がある。
境内参道
修行大師像
本堂
扁額は「高福山雪蹊寺」、左から右に書いてある。
大師堂
扁額は定番の「弘法」。
それでは、本堂、大師堂とお勤めし、納経所へ。そして秦神社へ参る。
秦神社
秦神社、高知県高知市長浜字門前857番地の1。(高知県神社庁Webより)
wakamiya-kochi.com
ja.wikipedia.org
秦神社の読みは「はだじんじゃ」。
入口から鳥居の先に説明板、そこから参道が真っ直ぐ延びて、途中左に雪蹊寺大師堂が見える。参道の奥まで行くと左に西宮神社(参道)、正面に拝殿、拝殿の左に摂末社、本殿の右に長宗我部盛親公慰霊之碑がある。
入口鳥居
神額は「秦神社」。
説明板
これに拠れば、ご祭神は、長宗我部元親公之霊、秦家( 長宗我部家と祖先 )代々之霊、家親忠死の徒( 家親は家臣の誤りらしい)。雪蹊寺廃寺を受けて、寺の元親木像などを新規に祀って創建。[長宗我部元親 - Wikipedia]
神社は廃寺雪蹊寺の跡地に建てられた。神社自体は札所になったことはないが、雪蹊寺の旧地であり、関連地である。
参道
拝殿前
ここの右に長浜城址の説明板がある。
長浜城址説明板
これに拠れば、神社背後の小山にあった長浜城は、本山茂辰の支配下にあったが、永禄3年(1560年)5月26日夜、長宗我部国親の奇襲で落ちた。[長宗我部国親 - Wikipedia]
西宮神社
鳥居の右前に説明板がある。これに拠れば、ご祭神は未詳(!?)、相殿は摂津西宮神社から勧請した恵美須大神。
拝殿
拝殿にて参拝後、御朱印を頂く。そして撮影再開。拝殿左前に、長宗我部信親と共に戸次川で討死した者達の名前が示してある。タイトルは「天正十四丙戌年十二月十二日 於豊州信親公忠死御供之衆」、「大位牌(秦神社蔵)」。(天正14年=1586年)[長宗我部信親 - Wikipedia]
本殿
長宗我部盛親公慰霊之碑
摂末社
雪蹊寺に戻ってトイレをお借りした後、駐車場へ。12時37分出発。寺と神社の滞在時間は約50分。
次回は、遍路第9日、種間寺(34番)
次回は、種間寺に参ります。