2023年遍路第5日その3、焼山寺(12番)から名西旅館花に戻ったところから。
遍路第5日(山岳ステージ)
日付 : 2023年10月21日
「名西旅館花」に帰還。玄関脇のバックパックを回収して、代わりに納札を置いていこうとしたら、宿の御主人が現れたので、納札を手渡す。荷物の積み戻しを行っていると、歩きの女性へんろさんが到着、宿に荷物を置いて近隣札所を廻るみたいだ。
そのへんろさんと宿の御主人が会話する中、12時33分に出発、颯爽と徳島県道21号神山鮎喰線に出て左折(東行)、すぐの交差点で県道208号一宮下中筋線に移って東に走る。あっ、旅館の撮影を忘れた。
途中、旧道に入って無名の低い峠を越える。その後県道に復帰して園瀬川を渡り、また旧道っぽい道へ。
国道192号で文化の森をトンネルで抜ける道は自動車専用道なので使えない。左折して国道438&439号で園瀬川を渡って右へ、県道203号鮎喰新浜線で園瀬川左岸を下る。県道136号宮倉徳島線に出て右折、園瀬川を渡って県道136号を南へ。
さて、ここら辺で昼食を取らないといけないのだが、試しに左手に看板のあった店に寄るとこれが休み、今日は土曜日。県道に戻って、次は「一冨久」に寄る。魚介料理が売りのようだが、昼間のメニューから、から揚げ定食を頼む。旨い。よくある唐揚げとはちょっと違うけど。
そのまま県道を南に、国道55&195号に合流して勝浦川を渡る。この先は国道を選択、右側の歩道を南へ走る。しばらくして、へんろ道シールに従って右折、これが県道136号であった。
その先で、当初考えていたルートに合流、それからすぐ、右手に石碑が建っている。
源義経上陸の地の碑
ここは、屋島の戦い直前に、源義経一行が上陸した所だという。現在は海岸線から約2km離れているが、昔は海だったとしても不思議ではない地形ではある。
少し南に進むと、右手に石塔がある。
恩山寺分岐直前の石塔
石塔の正面「四國第十八番母養山恩山寺」、右面は「恩山寺略記」と題する漢文で、その大意は、天平年間に聖武天皇の意を受けた行基が、自ら医王( 薬師如来 )を刻み、慧日山密巌寺を建てた、その後に空海が訪れて、いろいろあって、母養山恩山寺と改まった。左面は読みづらいが、たぶん右面の続きであろう。
この石塔のすぐ先で右折して、県道とは別れる。少し進むと、ポツンと山門が現れる。
恩山寺山門
4級山岳恩山寺
この山門の辺りには地理院地図だと標高20mの等高線が通り、一方、恩山寺の駐車場は標高約50m、山門から駐車場までは約0.3kmなので、札所の威光も加えて4級とする。
焼山寺登りの疲れもあって、一気には登れず。標高差30mなんて私の地元船橋には無いのだ。
駐車場に到着は14時29分。
ここで、遅まきながら今晩の宿の手配をする。まず、鶴林寺(20番)手前の宿を複数あたってみるが全滅、立江寺(19番)の宿坊は、前日までに予約が要るということでダメ、で、「名西旅館花」の御主人のアドバイスに従って、HOTEL AZ徳島小松島店をWeb予約した。
恩山寺
高野山真言宗、恩山寺、徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40。(四国八十八ヶ所霊場会Webより)
四国八十八ヶ所18番。
88shikokuhenro.jp
ja.wikipedia.org
恩山寺の読みは「おんざんじ」。
既に山門は通過したが、駐車場からまた少し歩いて行くと大きな修行大師像があり、その左に階段、階段の先が境内らしい境内となる。その階段を登って右に長屋形式のお堂、左に小さな修行大師像そして大師堂、参道を真っ直ぐ進むと長めの階段を登って本堂となる。
修行大師像(大)
境内
修行大師像(小)
像の左の石塔には「弘法大師御母公御剃髪所」とある。
先に述べた宿の手配は、実際にはこの辺りまでかかったようだ。
本堂
本尊は薬師如来。それでは、お勤め開始、まず本堂で、階段を降りて大師堂で、そして納経所ヘ。残りの撮影を行う。
お堂
大師堂
扁額は「弘法大師」。
駐車場に戻って出発。15時29分。滞在時間は約60分、これには宿の手配時間を含む。
次回は、遍路第5日、立江寺(19番)
次回は、立江寺に参ります。